卒論発表会
2007年2月22日私は大学二年なのでまだちょっと先のことですが、四回生の卒論発表会に参加してきました。私のゼミとは関係ないけれども、仲の良い友達の所属ゼミの発表会なので付き添いで。
関係ないって言っても、うちのゼミは近世文学(江戸時代)中心に勉強するけど、卒論はどの時代の文学でもいいっていう不思議に寛容なゼミだから、とりあえず私の卒論の参考にさせてもらおうと参加したのです。
行かせてもらったゼミは、近現代文学専攻のゼミ。
だから芥川とか近代の作家から、江國香織、長野まゆみといった現代の作家まで、いろんな卒論がありました。
で、担当の先生に思いっきり否定されてました・・・・・。
江國香織について書いた人には、
「太宰の作品は面白いけど、太宰論は面白くない。江國香織も同じ」
山田詠美について書いた人には、
「こんな作家を選ぶな」
「この作家は30年後には消えてる」
あさのあつこについて書いた人には、
「あさのあつこと梨木香歩と長野まゆみはカスや」
「児童文学作家は児童文学だけでとどまっておけ」
梨木香歩について書いた人には、
「改稿について書いてるからこそ卒論として見れる」
長野まゆみについて書いた人には、
(「少女が現実と向き合い大人になる時、長野作品を卒業していく。」という文章を踏まえ、)「あなたも現実を見つめて卒業しなさい、長野まゆみから」
怖いよぅ・・・・・。
っていうか、あさのあつこと長野まゆみは私すごいファンなのに。
なんか、あれだけスパッと斬られたら、反論する気力さえなくなってしまうな・・・。
復活したから言うけど、カスとまでは言わなくていいじゃんかぁ。
少なくとも彼女たちは読者を惹き付ける魅力とか感動させる力を持ってるんだから。
卒論のテーマにするには力量不足だとしても、一般的な現代の小説としてはいいんじゃないの?
カスて・・・・・。
ちなみにこの先生は、小説や詩集を作ってもそれを卒論の代わりとして認めてくれるそうですが、かなりの力量が入るだろうな・・・。
私は卒論のテーマ、芥川龍之介で希望出しときました。
夏目漱石の『こころ』とか、太宰治のキリスト教観も捨てがたかったけれども、やっぱり一昨年読んだ芥川の『侏儒の言葉』が忘れられなかったので。
関係ないって言っても、うちのゼミは近世文学(江戸時代)中心に勉強するけど、卒論はどの時代の文学でもいいっていう不思議に寛容なゼミだから、とりあえず私の卒論の参考にさせてもらおうと参加したのです。
行かせてもらったゼミは、近現代文学専攻のゼミ。
だから芥川とか近代の作家から、江國香織、長野まゆみといった現代の作家まで、いろんな卒論がありました。
で、担当の先生に思いっきり否定されてました・・・・・。
江國香織について書いた人には、
「太宰の作品は面白いけど、太宰論は面白くない。江國香織も同じ」
山田詠美について書いた人には、
「こんな作家を選ぶな」
「この作家は30年後には消えてる」
あさのあつこについて書いた人には、
「あさのあつこと梨木香歩と長野まゆみはカスや」
「児童文学作家は児童文学だけでとどまっておけ」
梨木香歩について書いた人には、
「改稿について書いてるからこそ卒論として見れる」
長野まゆみについて書いた人には、
(「少女が現実と向き合い大人になる時、長野作品を卒業していく。」という文章を踏まえ、)「あなたも現実を見つめて卒業しなさい、長野まゆみから」
怖いよぅ・・・・・。
っていうか、あさのあつこと長野まゆみは私すごいファンなのに。
なんか、あれだけスパッと斬られたら、反論する気力さえなくなってしまうな・・・。
復活したから言うけど、カスとまでは言わなくていいじゃんかぁ。
少なくとも彼女たちは読者を惹き付ける魅力とか感動させる力を持ってるんだから。
卒論のテーマにするには力量不足だとしても、一般的な現代の小説としてはいいんじゃないの?
カスて・・・・・。
ちなみにこの先生は、小説や詩集を作ってもそれを卒論の代わりとして認めてくれるそうですが、かなりの力量が入るだろうな・・・。
私は卒論のテーマ、芥川龍之介で希望出しときました。
夏目漱石の『こころ』とか、太宰治のキリスト教観も捨てがたかったけれども、やっぱり一昨年読んだ芥川の『侏儒の言葉』が忘れられなかったので。
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