27冊目『砂はマのつく途の果て!』
2008年3月25日 読書
『砂はマのつく途の果て!』喬林 知(角川ビーンズ文庫) ’07 12/2
評価;A
まるマはそれはそれはいつも楽しく読むんだけど、感想を書くのがすっごく日にちが経ってからなので内容の詳細がかなりアバウトなんですよねぇ・・・。
ゆーちゃんと魔族兄弟が合流してー・・・・・サラレギーの過去がちょっと明らかになった?
番外のアーダルベルト&ジュリア(+マキシーン)に心が癒された。
そう、この小説の何が良いって、魂が生まれ変わる時に前世と性別が変わっていることですよ。
諸宗教観念の中の輪廻転生に性別の縛りがあるのかどうかまったく知りませんが、動物に転生する場合がある以上男は男、女は女と言われても説得性を感じなかったりもする。ただ、輪廻転生を扱う作品にはやはり性別はそのまま生まれ変わる場合が多く、それは前世で恋人同士だった二人を現世でも恋愛関係に持って行こうとする話の構成上、世間一般の同性愛のタブーを犯さない配慮だとは思いますが、そのご都合主義に面白みを感じないことは少なからずあります。
現代女性作家のある輪廻転生を扱った作品では、キリスト教圏のヨーロッパが舞台(またはヨーロッパ出身)なのに輪廻転生を扱っている上、男性は必ず男性に、女性は必ず女性に生まれ変わる点が、「うーん、なんでだろう」と思いました(まぁ、これは同名であり、必ず出会い必ず別れるという結末がある以上仕方のないことかもしれないけれど)。しかし面白みの半減は私の中では否めません。
というわけで、まるマはその辺の葛藤やらなんやらを織り込み、上手く話を作っているので楽しいと思うのですよ。
ユーリに対するアーダルベルトの気持ちは絶対にジュリアと同じものじゃないし、恋人の生まれ変わりだからといって次の世でまた同じように好きになる必要はない。別に命の源である魂に惚れていたわけじゃあるまいし。ただ、核が元恋人のものと同じだから、たまに思い出したり、大切にしたりする。それで十分じゃないですか。何があったのかまだ描かれていないけれどもコンラッドも然り。
BLに走らずに、性別云々ではなく人間と人間の関わりを描いてる点にまるマの面白みがあるのだと思います。
・・・ということを18作目にして改めて書いてみちゃったりして。
次の本は『ジュリアス・シーザー』。もちろん(ぇ)『暁のローマ』の影響です。
評価;A
まるマはそれはそれはいつも楽しく読むんだけど、感想を書くのがすっごく日にちが経ってからなので内容の詳細がかなりアバウトなんですよねぇ・・・。
ゆーちゃんと魔族兄弟が合流してー・・・・・サラレギーの過去がちょっと明らかになった?
番外のアーダルベルト&ジュリア(+マキシーン)に心が癒された。
そう、この小説の何が良いって、魂が生まれ変わる時に前世と性別が変わっていることですよ。
諸宗教観念の中の輪廻転生に性別の縛りがあるのかどうかまったく知りませんが、動物に転生する場合がある以上男は男、女は女と言われても説得性を感じなかったりもする。ただ、輪廻転生を扱う作品にはやはり性別はそのまま生まれ変わる場合が多く、それは前世で恋人同士だった二人を現世でも恋愛関係に持って行こうとする話の構成上、世間一般の同性愛のタブーを犯さない配慮だとは思いますが、そのご都合主義に面白みを感じないことは少なからずあります。
現代女性作家のある輪廻転生を扱った作品では、キリスト教圏のヨーロッパが舞台(またはヨーロッパ出身)なのに輪廻転生を扱っている上、男性は必ず男性に、女性は必ず女性に生まれ変わる点が、「うーん、なんでだろう」と思いました(まぁ、これは同名であり、必ず出会い必ず別れるという結末がある以上仕方のないことかもしれないけれど)。しかし面白みの半減は私の中では否めません。
というわけで、まるマはその辺の葛藤やらなんやらを織り込み、上手く話を作っているので楽しいと思うのですよ。
ユーリに対するアーダルベルトの気持ちは絶対にジュリアと同じものじゃないし、恋人の生まれ変わりだからといって次の世でまた同じように好きになる必要はない。別に命の源である魂に惚れていたわけじゃあるまいし。ただ、核が元恋人のものと同じだから、たまに思い出したり、大切にしたりする。それで十分じゃないですか。何があったのかまだ描かれていないけれどもコンラッドも然り。
BLに走らずに、性別云々ではなく人間と人間の関わりを描いてる点にまるマの面白みがあるのだと思います。
・・・ということを18作目にして改めて書いてみちゃったりして。
次の本は『ジュリアス・シーザー』。もちろん(ぇ)『暁のローマ』の影響です。
『光と影』渡辺 淳一(文春文庫) ’07 11/27
評価;A
表題作を読みました。
西南戦争で同様に貫通銃創を受け右腕が粉砕骨折した二人の士官の手術時のカルテの順序と医者の気まぐれの処置法によって正反対の人生を歩む様子が、腕を切断され廃兵となって生きる小武の目線で描かれる。
不自由でも腕がついたままの寺内は栄光の道を歩いていくのだから、そりゃあたまったものじゃない。まして小武はプライドが高い。
ただ、小武に腕があったとしても寺内ほど出世できたのかどうかはわからないし、寺内が腕を失っても根拠はないが小武ほど考え込まず同じような出世の道を辿りそうだと感じた。
偶然の中の必然。いや、偶然こそ必然なのかも知れない。
評価;A
表題作を読みました。
西南戦争で同様に貫通銃創を受け右腕が粉砕骨折した二人の士官の手術時のカルテの順序と医者の気まぐれの処置法によって正反対の人生を歩む様子が、腕を切断され廃兵となって生きる小武の目線で描かれる。
不自由でも腕がついたままの寺内は栄光の道を歩いていくのだから、そりゃあたまったものじゃない。まして小武はプライドが高い。
ただ、小武に腕があったとしても寺内ほど出世できたのかどうかはわからないし、寺内が腕を失っても根拠はないが小武ほど考え込まず同じような出世の道を辿りそうだと感じた。
偶然の中の必然。いや、偶然こそ必然なのかも知れない。
25冊目『芥川龍之介殺人事件』
2007年12月11日 読書『芥川龍之介殺人事件』神門 酔生(晩聲社) ’07 11/19
評価;C
芥川龍之介は「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」を理由に自殺した。しかし、芥川は誰かに殺されたのではないか?
その仮説を元に、芥川から一世代か二世代ほど後の関係者たちが事実を探る、という小説です。
つまり、芥川は、誰かに自殺に追い込まれた(=他殺)ではないかという仮説。
こういう、事実を踏まえた上で新事実を追求していくというある意味王道の構成の本が、小説として書かれた途端すんごく安っぽく思えるのは、私の中で「小説=フィクション」が前提だからでしょうね。
この本を全て信じるならば、実は芥川と私には微妙な接点がありました。何千万分の一ぐらいの確立で、芥川が引いている同じ血が私にも流れているかも知れません。(笑)
わけあって詳しくは書けませんが、「関係ないと思ってたけど、それってやっぱりそこからとられた字やったんや!」という感動的な驚きがありました。(わかりにくい。笑)
この驚きを糧に、今後も卒論に向けて芥川研究を頑張ります。
ちなみに方向としては、芥川におけるキリスト教の影響や存在について書く予定です。
とりあえずせめて切支丹物と聖書読まないと・・・。
次は『光と影』。興味深い作品でした。
評価;C
芥川龍之介は「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」を理由に自殺した。しかし、芥川は誰かに殺されたのではないか?
その仮説を元に、芥川から一世代か二世代ほど後の関係者たちが事実を探る、という小説です。
つまり、芥川は、誰かに自殺に追い込まれた(=他殺)ではないかという仮説。
こういう、事実を踏まえた上で新事実を追求していくというある意味王道の構成の本が、小説として書かれた途端すんごく安っぽく思えるのは、私の中で「小説=フィクション」が前提だからでしょうね。
この本を全て信じるならば、実は芥川と私には微妙な接点がありました。何千万分の一ぐらいの確立で、芥川が引いている同じ血が私にも流れているかも知れません。(笑)
わけあって詳しくは書けませんが、「関係ないと思ってたけど、それってやっぱりそこからとられた字やったんや!」という感動的な驚きがありました。(わかりにくい。笑)
この驚きを糧に、今後も卒論に向けて芥川研究を頑張ります。
ちなみに方向としては、芥川におけるキリスト教の影響や存在について書く予定です。
とりあえずせめて切支丹物と聖書読まないと・・・。
次は『光と影』。興味深い作品でした。
24冊目『里見八犬伝』
2007年12月9日 読書
『里見八犬伝』植松 三土里(小学館文庫) ’07 9/9
評価;B
時は戦国の世、房総半島南端の安房国。武将たちが日本各地で「国盗り」を繰り返す中で、安房の山下定包は妻・玉梓と放埓な日々を送っていた。里見義実は定包を倒し、助命嘆願する玉梓も打ち首にする。「私を斬るなら末代までたたる」と死んでいった玉梓の亡霊は、義実の娘・伏姫に「そなたは呪いの子をはらんでいる」と不吉な予言を。玉梓に呪われた里見家は窮地に陥り、伏姫は呪いを打ち払うかのように自害するが、彼女の体からは八つの水晶珠が空に飛び散っていった。仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の文字がそれぞれ浮かび上がる八つの珠は、八人の勇者の手に渡っているという。いくさを収める力となる八人の犬士を求めて、里見家家臣・金碗大輔は八つの珠を探す旅に出るのだった。
2006年のお正月にテレビで放送されたドラマの小説版です。
前々から『里見八犬伝』とは一体なんだろうかと気になっていたのですが、ドラマも見逃し、かと言っていきなり原作を読む自信もなく・・・。そんな時、先日近所の古本屋で偶然この本を見つけたのですよ。
原作を知らないからどう脚色されているのかわからないのですが、この本は面白かったです。
好きなキャラは、私を知っていまたは私の日記を読んで私を理解してくださっている方ならすぐにわかると思いますが、犬坂毛野(旦開野)です。女装して女田楽を率いてる上にたまに色仕掛け使ったりするなんてツボすぎます。やはり美しい人はいい。
他の『里見八犬伝』も読みたくなりました。できれば漫画で読みたいなぁ。
あと、本とは話は全然違うと思うけれども、昔水さん主演で公演された宙組バウ(だったか?)の「里見八犬伝」も見たいです。(録画だけしてまだ見ていない。)ともちんが悪役だそうです。
さて次は『芥川龍之介殺人事件』です。Amazonにさえ登録されていないようなマニアックな本です。
評価;B
時は戦国の世、房総半島南端の安房国。武将たちが日本各地で「国盗り」を繰り返す中で、安房の山下定包は妻・玉梓と放埓な日々を送っていた。里見義実は定包を倒し、助命嘆願する玉梓も打ち首にする。「私を斬るなら末代までたたる」と死んでいった玉梓の亡霊は、義実の娘・伏姫に「そなたは呪いの子をはらんでいる」と不吉な予言を。玉梓に呪われた里見家は窮地に陥り、伏姫は呪いを打ち払うかのように自害するが、彼女の体からは八つの水晶珠が空に飛び散っていった。仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の文字がそれぞれ浮かび上がる八つの珠は、八人の勇者の手に渡っているという。いくさを収める力となる八人の犬士を求めて、里見家家臣・金碗大輔は八つの珠を探す旅に出るのだった。
2006年のお正月にテレビで放送されたドラマの小説版です。
前々から『里見八犬伝』とは一体なんだろうかと気になっていたのですが、ドラマも見逃し、かと言っていきなり原作を読む自信もなく・・・。そんな時、先日近所の古本屋で偶然この本を見つけたのですよ。
原作を知らないからどう脚色されているのかわからないのですが、この本は面白かったです。
好きなキャラは、私を知っていまたは私の日記を読んで私を理解してくださっている方ならすぐにわかると思いますが、犬坂毛野(旦開野)です。女装して女田楽を率いてる上にたまに色仕掛け使ったりするなんてツボすぎます。やはり美しい人はいい。
他の『里見八犬伝』も読みたくなりました。できれば漫画で読みたいなぁ。
あと、本とは話は全然違うと思うけれども、昔水さん主演で公演された宙組バウ(だったか?)の「里見八犬伝」も見たいです。(録画だけしてまだ見ていない。)ともちんが悪役だそうです。
さて次は『芥川龍之介殺人事件』です。Amazonにさえ登録されていないようなマニアックな本です。
23冊目『月の影 影の海(上) 十二国記』
2007年12月8日 読書
『月の影 影の海(上) 十二国記』小野 不由美(講談社文庫) ’07 8/27
評価;B
甘くない。
なんて、コーヒーの宣伝みたいな文句で、今回の『十二国記』シリーズ第一巻の感想始めます。
高校生の中嶋陽子は、毎日大量の妖怪が徐々に自分に近づいてくる夢を見ていた。ある日、自分を迎えに来たようなケイキと名乗る長い金髪で裾の長い服を着た男に陽子は学校から無理やり連れ出される。辿り着いた先は、地球上の世界ではない見ず知らずの異国だった。見ず知らずのこちらの世界へ来る直前ケイキたちとはぐれた陽子は一人だった。陽子はこの中国に似たようなけれどまったく知らない世界で、裏切りや妖怪の襲撃に耐え、それにより成長し、こちらの世界のただ一人の知っている人物、ケイキに再会し、自分の世界に戻るための手段を知る、ただそのためだけに死にそうに辛い毎日をなんとかして生きる。
成長なんていいものではなく、神経が図太くなっているというべきか。
か弱い少女から、自分の身は自分で守るしかないと悟った、力のあるある意味悲しい人間へと変わっていく過程が上手いなと思う。
「ケイキぃっ!! 理由を言えぇっ!!」とか、たまに見せる男らしさにしびれます。あと、少し前の、宿屋の従業員と財布の有無で言い争うところの敬語なしの口調とか。
身の回りに『十二国記』を読んだことのある友人が何人かいます。「『十二国記』ってどんなの?」と聞くと帰ってくる答えは、ほとんどが「痛い」です。だからと言って、この作品を「嫌い」だという人にはいまだあっていません。
読み続けている人が言う「痛い」が一巻に含まれているのかどうかはわかりません。実際読んでいた時は特に痛々しいとは感じませんでしたが、今考えるとなかなか痛々しくある気もします。それが上記の「甘くない」という感想に繋がるわけですが。
今までの私の読書記録を読み続けてくださっている方はもしかしたらおわかりかもしれませんが、私は女性が主人公の作品はあまり読みません。どうも苦手なんですよ・・・。おそらく同性として理解できる心情が直接的に入ってくるからだと思います。だからこそ、男性の目線というクッションを一つ置いたところで心情を理解したいと思うんですよ。男性の場合はどう頑張っても私には完璧には理解できないだろうから、直な回路で十分なんです。っていうか、そうじゃないときっと理解できないから。
そんな中、今回の作品はあらすじ通り女の子が主人公です。
この作品、実は2005年7月26日に読み始めました。上の読了日を見ていただければわかりますが、読みきるのに2年あまりを費やしております。挫折して放りっぱなしだったのです。
ただ、最後の挑戦では一週間ぐらいで読めたんですよ。秘訣は・・・
ザッツ☆脳内変換っ!!!
つまり、頭の中でキャラの容姿を想像しやすい人に変換するのです。
さて、今回は、
陽子→ユウヒくん・・・本名だからなだけで、おそらく本文に描写されている容姿とは似ても似つきません。でも面白いのでこのまま。
ケイキ→アサコさん・・・「ユウヒくんに関係ありそうな人で男といえば・・・?」で出てきた人。1巻では登場回数が少ないのでまだ何とも。
達姐→タキさん・・・「たっき」なので。これは結構はまってる感じもします。
謎の金髪の女→トウコさん・・・このキャラは悩みが多そうな女性だから、悩ましい演技がとても上手いトウコさんに是非。肩のオウムは安禄山でいっときましょうか。でもトウコさんに命令してるから声だけはワタルさんでもいい。っていうかワタルさんがいい。
老人→老人は誰にもやってほしくないぐらい嫌なヤツなんで、除外。
その他→端役で出番そんなにないんで、除外。
に変換。
この方法で行けば読めました。(笑)
しかし、今まではよくSMAPに変換していましたが、最近は宝塚に変換する回数が多くなってきたのは、あまり良い兆候とは思えませんね。いろいろと。
さて、次の本は『里見八犬伝』。
一度読んでみたいと思っていた本です。
評価;B
甘くない。
なんて、コーヒーの宣伝みたいな文句で、今回の『十二国記』シリーズ第一巻の感想始めます。
高校生の中嶋陽子は、毎日大量の妖怪が徐々に自分に近づいてくる夢を見ていた。ある日、自分を迎えに来たようなケイキと名乗る長い金髪で裾の長い服を着た男に陽子は学校から無理やり連れ出される。辿り着いた先は、地球上の世界ではない見ず知らずの異国だった。見ず知らずのこちらの世界へ来る直前ケイキたちとはぐれた陽子は一人だった。陽子はこの中国に似たようなけれどまったく知らない世界で、裏切りや妖怪の襲撃に耐え、それにより成長し、こちらの世界のただ一人の知っている人物、ケイキに再会し、自分の世界に戻るための手段を知る、ただそのためだけに死にそうに辛い毎日をなんとかして生きる。
成長なんていいものではなく、神経が図太くなっているというべきか。
か弱い少女から、自分の身は自分で守るしかないと悟った、力のあるある意味悲しい人間へと変わっていく過程が上手いなと思う。
「ケイキぃっ!! 理由を言えぇっ!!」とか、たまに見せる男らしさにしびれます。あと、少し前の、宿屋の従業員と財布の有無で言い争うところの敬語なしの口調とか。
身の回りに『十二国記』を読んだことのある友人が何人かいます。「『十二国記』ってどんなの?」と聞くと帰ってくる答えは、ほとんどが「痛い」です。だからと言って、この作品を「嫌い」だという人にはいまだあっていません。
読み続けている人が言う「痛い」が一巻に含まれているのかどうかはわかりません。実際読んでいた時は特に痛々しいとは感じませんでしたが、今考えるとなかなか痛々しくある気もします。それが上記の「甘くない」という感想に繋がるわけですが。
今までの私の読書記録を読み続けてくださっている方はもしかしたらおわかりかもしれませんが、私は女性が主人公の作品はあまり読みません。どうも苦手なんですよ・・・。おそらく同性として理解できる心情が直接的に入ってくるからだと思います。だからこそ、男性の目線というクッションを一つ置いたところで心情を理解したいと思うんですよ。男性の場合はどう頑張っても私には完璧には理解できないだろうから、直な回路で十分なんです。っていうか、そうじゃないときっと理解できないから。
そんな中、今回の作品はあらすじ通り女の子が主人公です。
この作品、実は2005年7月26日に読み始めました。上の読了日を見ていただければわかりますが、読みきるのに2年あまりを費やしております。挫折して放りっぱなしだったのです。
ただ、最後の挑戦では一週間ぐらいで読めたんですよ。秘訣は・・・
ザッツ☆脳内変換っ!!!
つまり、頭の中でキャラの容姿を想像しやすい人に変換するのです。
さて、今回は、
陽子→ユウヒくん・・・本名だからなだけで、おそらく本文に描写されている容姿とは似ても似つきません。でも面白いのでこのまま。
ケイキ→アサコさん・・・「ユウヒくんに関係ありそうな人で男といえば・・・?」で出てきた人。1巻では登場回数が少ないのでまだ何とも。
達姐→タキさん・・・「たっき」なので。これは結構はまってる感じもします。
謎の金髪の女→トウコさん・・・このキャラは悩みが多そうな女性だから、悩ましい演技がとても上手いトウコさんに是非。肩のオウムは安禄山でいっときましょうか。でもトウコさんに命令してるから声だけはワタルさんでもいい。っていうかワタルさんがいい。
老人→老人は誰にもやってほしくないぐらい嫌なヤツなんで、除外。
その他→端役で出番そんなにないんで、除外。
に変換。
この方法で行けば読めました。(笑)
しかし、今まではよくSMAPに変換していましたが、最近は宝塚に変換する回数が多くなってきたのは、あまり良い兆候とは思えませんね。いろいろと。
さて、次の本は『里見八犬伝』。
一度読んでみたいと思っていた本です。
22冊目『風が強く吹いている』
2007年12月3日 読書
『風が強く吹いている』三浦 しをん(新潮社) ’07 8/4
評価;A
箱根の山は蜃気楼ではない。襷をつないで上っていける、俺たちなら。才能に恵まれ、走ることを愛しながら走ることから見放されかけていた清瀬灰二と蔵原走。奇跡のような出会いから、二人は無謀にも陸上とかけ離れていた者と箱根駅伝に挑む。たった十人で。それぞれの「頂点」をめざして…。長距離を走る(=生きる)ために必要な真の「強さ」を謳いあげた書下ろし1200枚!超ストレートな青春小説。最強の直木賞受賞第一作。(Amazon)
あるアパートに下宿する大学生10人(駅伝素人含み)が、箱根駅伝に挑む話。
いやぁ、面白い!
盛り上がり部分もさることながら、表紙からすでに面白い。
「黒人が速いというのは偏見です」て。(笑)
一つのスポーツに打ち込み、それに振り回され、一喜一憂しながら、その最終的な形を探す、という点では、私は読んだことはないので断言できませんが他のスポコン作品に似ているかもしれませんし、私の読んだ本の中では『バッテリー』(あさのあつこ)によく似てます。
『バッテリー』の主人公・巧は野球で「投げる」ということに、『風が強く吹いている』の主人公・走は長距離を「走る」ということに、それぞれ囚われています。
囚われすぎているからすごく極端な見方しかできていなくて、最高の結果(勝敗や一位など)が全てだという考え方だった。けれど、周りの人との交流を通して、主人公は自分が考えていた「頂点」以外の「頂点」を見つける。それは、スコアとは関係があるようでもないようでもあるけれど、それだけでないことは確か。
小説で描かれる「天才」とは得てしてそんなものです。
巧に比べて、年齢の差だろうか、走は本当に素直な子です。
私が好きなキャラの順番に(←ここ重要)、簡潔に登場人物を説明します。(学年の後ろに「?」が付いているものは、自信がないものです)
神童・・・3年。ムサと仲が良い。いい人。
ムサ・・・2年?日本に勉強に来ている黒人の留学生。模範的な美しい日本語を話す。神童と仲が良い。
走・・・大学1年。走ることの天才。高校時代に傷がある。
ハイジ・・・4年。10人で箱根駅伝に行くとを言い出した人。みんなのお母さん敵存在で、頼りになる人。でも絶対腹黒い。
ユキ・・・4年。頭脳派。メガネ。
ジョータ・・・1年。双子の片割れ。ムードメーカー的存在。
ジョージ・・・ジョータに同じく。
ニコチャン先輩・・・5年か6年か7年あたり(つまり留年)?煙草が大好きだった。
キング・・・2年か3年?クイズ番組が大好き。
王子・・・2年か3年?マンガオタク。運動が苦手。
とにかく神童とムサが大好きです。ピンでもセットでも好きです。この二人のほのぼのした空気がたまりません。
走とハイジの組み合わせは走が可愛くなるので好きです。
あとの人たちは頑張り屋さんで、コンビとしてよりも個々で好きです。
最初はともかく、最後の方は10人それぞれが目立ちます。
それが全員とてもとても感動的です。ほとんどの人の場面で涙を流しました。
あらすじを見た限り、「ありきたりなストーリーでいい作品が作れるのか?」と思っていましたが、そこはやはりしをんさん。受け入れられやすいだけでなく、感動もできる素晴らしい作品でした。
しをんさんの作品を読むたびに思うのですが、私のツボはしをんさんのツボと非常によく似ているのかもしれない。ツボをぶっすぶっす突かれている感じが毎回しますもの。(笑)
とりあえず、もっと読みます、しをんさんの作品。
そして来年は箱根駅伝を見たいと思います。
あ、この本のラストの大会(や、名前出すのはネタばれになるかなぁと)での私なりのBGMは、SMAPの「Fine,Peace!」でした。爽やかな熱さが両者共通しているのではないかと。
さて、次の本。
次は『月の影 影の海(上) 十二国記』。『十二国記』シリーズ第一巻。
評価;A
箱根の山は蜃気楼ではない。襷をつないで上っていける、俺たちなら。才能に恵まれ、走ることを愛しながら走ることから見放されかけていた清瀬灰二と蔵原走。奇跡のような出会いから、二人は無謀にも陸上とかけ離れていた者と箱根駅伝に挑む。たった十人で。それぞれの「頂点」をめざして…。長距離を走る(=生きる)ために必要な真の「強さ」を謳いあげた書下ろし1200枚!超ストレートな青春小説。最強の直木賞受賞第一作。(Amazon)
あるアパートに下宿する大学生10人(駅伝素人含み)が、箱根駅伝に挑む話。
いやぁ、面白い!
盛り上がり部分もさることながら、表紙からすでに面白い。
「黒人が速いというのは偏見です」て。(笑)
一つのスポーツに打ち込み、それに振り回され、一喜一憂しながら、その最終的な形を探す、という点では、私は読んだことはないので断言できませんが他のスポコン作品に似ているかもしれませんし、私の読んだ本の中では『バッテリー』(あさのあつこ)によく似てます。
『バッテリー』の主人公・巧は野球で「投げる」ということに、『風が強く吹いている』の主人公・走は長距離を「走る」ということに、それぞれ囚われています。
囚われすぎているからすごく極端な見方しかできていなくて、最高の結果(勝敗や一位など)が全てだという考え方だった。けれど、周りの人との交流を通して、主人公は自分が考えていた「頂点」以外の「頂点」を見つける。それは、スコアとは関係があるようでもないようでもあるけれど、それだけでないことは確か。
小説で描かれる「天才」とは得てしてそんなものです。
巧に比べて、年齢の差だろうか、走は本当に素直な子です。
私が好きなキャラの順番に(←ここ重要)、簡潔に登場人物を説明します。(学年の後ろに「?」が付いているものは、自信がないものです)
神童・・・3年。ムサと仲が良い。いい人。
ムサ・・・2年?日本に勉強に来ている黒人の留学生。模範的な美しい日本語を話す。神童と仲が良い。
走・・・大学1年。走ることの天才。高校時代に傷がある。
ハイジ・・・4年。10人で箱根駅伝に行くとを言い出した人。みんなのお母さん敵存在で、頼りになる人。でも絶対腹黒い。
ユキ・・・4年。頭脳派。メガネ。
ジョータ・・・1年。双子の片割れ。ムードメーカー的存在。
ジョージ・・・ジョータに同じく。
ニコチャン先輩・・・5年か6年か7年あたり(つまり留年)?煙草が大好きだった。
キング・・・2年か3年?クイズ番組が大好き。
王子・・・2年か3年?マンガオタク。運動が苦手。
とにかく神童とムサが大好きです。ピンでもセットでも好きです。この二人のほのぼのした空気がたまりません。
走とハイジの組み合わせは走が可愛くなるので好きです。
あとの人たちは頑張り屋さんで、コンビとしてよりも個々で好きです。
最初はともかく、最後の方は10人それぞれが目立ちます。
それが全員とてもとても感動的です。ほとんどの人の場面で涙を流しました。
あらすじを見た限り、「ありきたりなストーリーでいい作品が作れるのか?」と思っていましたが、そこはやはりしをんさん。受け入れられやすいだけでなく、感動もできる素晴らしい作品でした。
しをんさんの作品を読むたびに思うのですが、私のツボはしをんさんのツボと非常によく似ているのかもしれない。ツボをぶっすぶっす突かれている感じが毎回しますもの。(笑)
とりあえず、もっと読みます、しをんさんの作品。
そして来年は箱根駅伝を見たいと思います。
あ、この本のラストの大会(や、名前出すのはネタばれになるかなぁと)での私なりのBGMは、SMAPの「Fine,Peace!」でした。爽やかな熱さが両者共通しているのではないかと。
さて、次の本。
次は『月の影 影の海(上) 十二国記』。『十二国記』シリーズ第一巻。
21冊目『彩雲国物語 はじまりの風は紅く』
2007年12月2日 読書
『彩雲国物語 はじまりの風は紅く』雪乃 紗衣(角川ビーンズ文庫) ’07 7/11
評価;C
どうもこの作品はAmazonのカスタマーレビューを見る限り好き嫌いがわかれるみたいですね。
まぁ、私がこの作品に対して持った感想は、その一方とそこまで変わらないみたいです。
と、いうわけで、上の本をポチリしてカスタマーレビューを見てください。
次は『風が強く吹いている』。
しをんさんの作品が面白くないわけがありません。
評価;C
どうもこの作品はAmazonのカスタマーレビューを見る限り好き嫌いがわかれるみたいですね。
まぁ、私がこの作品に対して持った感想は、その一方とそこまで変わらないみたいです。
と、いうわけで、上の本をポチリしてカスタマーレビューを見てください。
次は『風が強く吹いている』。
しをんさんの作品が面白くないわけがありません。
20冊目『エンジェル エンジェル エンジェル』
2007年11月29日 読書
『エンジェル エンジェル エンジェル』梨木 香歩(新潮文庫) ’07 7/4
評価;A
高校生(おそらく)のコウコは、寝たきりに近い祖母の深夜のトイレ当番を引き受けることで熱帯魚を飼うのを許された。熱帯魚を飼い始めた日から寝たきりであった祖母が不思議な反応を見せるようになった。彼女はコウコと二人きりになると目を覚まし、少女のような表情で話をするようになったのだ。二人は互いを「コウちゃん」「さわちゃん」と呼び、親交を深める。
ネオンテトラを攻撃し殺すエンゼルフィッシュ、そしておばあちゃんの胸奥に眠る少女時代の切ない記憶が交錯する。
天使と悪魔の存在。そして神の感情。救われるのは誰なのか。
悪魔は自分が異端であることを、思考の浅い部分では認めてなくても、心の深い部分ではしっかり気づいていると思う。だからこそ正常な存在である天使を超えて、自分が正常なものになろうとする。それは神に愛されよう、または神を手に入れようとするからかもしれない。そのことに神は気付いているから、そのような方法しか選べなかった悪魔を「かわいそうだ」と言う。悪魔にとっては、それは異端である自分の存在を、自分にとって絶対的な存在である神が認めてくれた言葉。それは自分を救ってくれる至上の言葉になり得る。
悪魔は天使と同様神を愛していることには変わりないんですよ。でも、ちょっとその表現方法が極端なんです。きっと悪魔は不器用な天使なんですよ。
ルシファー(悪魔の親玉)の罪は嫉妬。今まで私は悪魔は人間に嫉妬したものだと思ってたけど、今回天使に嫉妬していたのかもしれないと思いました。自分がなることのできない正常なる者に対して。
というふうに、悪魔好きには楽しく読める本です。すごく間接的ではありますが、ルシファーがより一層可愛くなりました。(笑)
次は『彩雲国物語 はじまりの風は紅く』。
評価;A
高校生(おそらく)のコウコは、寝たきりに近い祖母の深夜のトイレ当番を引き受けることで熱帯魚を飼うのを許された。熱帯魚を飼い始めた日から寝たきりであった祖母が不思議な反応を見せるようになった。彼女はコウコと二人きりになると目を覚まし、少女のような表情で話をするようになったのだ。二人は互いを「コウちゃん」「さわちゃん」と呼び、親交を深める。
ネオンテトラを攻撃し殺すエンゼルフィッシュ、そしておばあちゃんの胸奥に眠る少女時代の切ない記憶が交錯する。
天使と悪魔の存在。そして神の感情。救われるのは誰なのか。
悪魔は自分が異端であることを、思考の浅い部分では認めてなくても、心の深い部分ではしっかり気づいていると思う。だからこそ正常な存在である天使を超えて、自分が正常なものになろうとする。それは神に愛されよう、または神を手に入れようとするからかもしれない。そのことに神は気付いているから、そのような方法しか選べなかった悪魔を「かわいそうだ」と言う。悪魔にとっては、それは異端である自分の存在を、自分にとって絶対的な存在である神が認めてくれた言葉。それは自分を救ってくれる至上の言葉になり得る。
悪魔は天使と同様神を愛していることには変わりないんですよ。でも、ちょっとその表現方法が極端なんです。きっと悪魔は不器用な天使なんですよ。
ルシファー(悪魔の親玉)の罪は嫉妬。今まで私は悪魔は人間に嫉妬したものだと思ってたけど、今回天使に嫉妬していたのかもしれないと思いました。自分がなることのできない正常なる者に対して。
というふうに、悪魔好きには楽しく読める本です。すごく間接的ではありますが、ルシファーがより一層可愛くなりました。(笑)
次は『彩雲国物語 はじまりの風は紅く』。
19冊目『バッテリー?』
2007年11月29日 読書
『バッテリー?』あさの あつこ(角川文庫) ’07 6/29
評価;C
おお、そこで終わるか。
というところで終わりました。
二人の仲がギクシャクしだしたところから、私はこのシリーズに魅力を感じなくなってきてしまい、結局最後まで同じでした。おそらく普通の読者はそのギクシャク含めて楽しむんだと思うけれども。
これはどの本にも共通することなんですが、私は魅力を感じられる登場人物がいなければ、その本を読む気が失せます。(藤野千夜さんなんて特に。)『バッテリー』はたまに登場人物がすごく可愛く思えたりすることもあるとはいえ、どうしても私には単純にマセガキに見えてしまったりする。これはもう相性の問題だから、誰かが私に文句を言うことも、私が誰かに私の考えを押し付けることもできません。
でも、私はあさのあつこさんの本が嫌いなわけではありません。
『The MANZAI』は3巻目で挫折中、まだ少し距離を置きたいと思いますが、『NO.6』はそれはそれは楽しんで読んでいます。シリーズものとしては『まるマ』シリーズに次いで好きですからね。
今後は『NO.6』を楽しんでいきます。
次は『エンジェル エンジェル エンジェル』という本です。なかなか興味深い本でした。
評価;C
おお、そこで終わるか。
というところで終わりました。
二人の仲がギクシャクしだしたところから、私はこのシリーズに魅力を感じなくなってきてしまい、結局最後まで同じでした。おそらく普通の読者はそのギクシャク含めて楽しむんだと思うけれども。
これはどの本にも共通することなんですが、私は魅力を感じられる登場人物がいなければ、その本を読む気が失せます。(藤野千夜さんなんて特に。)『バッテリー』はたまに登場人物がすごく可愛く思えたりすることもあるとはいえ、どうしても私には単純にマセガキに見えてしまったりする。これはもう相性の問題だから、誰かが私に文句を言うことも、私が誰かに私の考えを押し付けることもできません。
でも、私はあさのあつこさんの本が嫌いなわけではありません。
『The MANZAI』は3巻目で挫折中、まだ少し距離を置きたいと思いますが、『NO.6』はそれはそれは楽しんで読んでいます。シリーズものとしては『まるマ』シリーズに次いで好きですからね。
今後は『NO.6』を楽しんでいきます。
次は『エンジェル エンジェル エンジェル』という本です。なかなか興味深い本でした。
18冊目『エリザベート―愛と死の輪舞』
2007年11月27日 読書『エリザベート―愛と死の輪舞』ミヒャエル・クンツェ原作 小池修一郎著 ’07 5/26
評価;B
「A/L」「王家に捧ぐ歌」「エリザベート」と、宝塚三連発です。特に意図していたわけではないんですけどねぇ。
舞台「エリザベート」。
1992年ウィーンの初演以降人気を博し、各国で演じられて来ました。日本では宝塚歌劇団が上演権を獲得し、1996年雪組、1996年星組、1998年宙組、2002年花組、2005年月組、2007年雪組と繰り返し上演されています。
宝塚の舞台としての「エリザベート」の演出家が、この本の著者小池修一郎先生です。
小池先生は今年2007年世界陸上開会式の演出も担当されました。
その時ある意味宝塚代表として歌い踊っていたジェンヌさんたちが、2007年雪組「エリザベート」でトートを演じた水夏希さん率いる雪組男役の面々、5人合わせてAQUA5です。
とりあえずあらすじを書きます。・・・と言っても、あらすじは宝塚の公式HPのバックナンバー(2007年雪組)から頂いて来ました・・・。(すいません、書くのが面倒くさかったので・・・)
あ、これは小説です。「エリザベート」の舞台を文字化したものです。
以下あらすじ。
19世紀末。ヨーロッパ随一の美貌を謳われた、オーストリア=ハンガリー帝国皇妃エリザベートが、イタリア人アナーキスト、ルイジ・ルキーニに殺害された。ルキーニは独房内で自殺を図る。
煉獄の裁判所では、犯罪行為から百年も経ったにもかかわらず、ルキーニを未だ尋問している。ルキーニは、エリザベートは死と恋仲だった、エリザベート自身が死を望んでいたと主張する。そして、それを証明するため、エリザベートと同時代を生きた人々を霊廟から呼び起こす。最後にトート(死)が現われ、エリザベートを愛していたと告白する。
時代は1853年に遡る。少女のエリザベートは、ある日、綱渡りに挑戦しようとしてロープから落ち、意識不明の重体に陥る。冥界に迷い込んだエリザベートにトートは一目で惹きつけられる。トートはエリザベートに生命を返してやる。そしてその愛を得ようと、彼女を追い続ける決意をする。こうして、愛と死の輪舞(ロンド)が始まった。
ウィーンの宮廷では若き皇帝フランツ・ヨーゼフが、母親である皇太后ゾフィーの助言のもと、広大な国を治めていた。ゾフィーはフランツが彼のいとこのヘレネと結婚することを望んでおり、バート・イシュルでの見合いを計画する。しかし、フランツは一緒に来ていた妹のエリザベートを見初めてしまう。
1854年、ウィーンで二人の結婚式が行われる。トートは嫉妬を感じつつ、二人を見つめ、そしてついにエリザベートに話しかける、「最後のダンスは私のものだ」と。
エリザベートの結婚生活は、満足のいくものではなかった。古いしきたり、皇后としての務めをゾフィーに押し付けられたエリザベートは夫に助けを求めるが、フランツは取り合おうとはしなかった。失望したエリザベートにトートは近付き、誘惑する。しかしエリザベートは屈しなかった。結婚2年目に子供が生まれるが、その子さえゾフィーに取り上げられたエリザベートは、ゾフィーに対し次第に憎悪の念を募らせていく。
一方、赤ん坊にミルクもやれない暮らしを強いられている民衆は、美容のために毎日ミルク風呂に入る皇后に反感を募らせていた。トートはルキーニを煽り、人々を感化させる。ハンガリーの革命家エルマーたちは、革命の気運を高めていく。
ついに、フランツはエリザベートのすべての要求を受け入れ、エリザベートはゾフィーとの長年の確執に勝利する。エリザベートは「私の人生は私のもの」と言い放つ。そんなエリザベートをトートが見つめていた……。
上に引用したのは宝塚の舞台のあらすじですから、本とは若干異なります。
台詞もニュアンスは同じだけれども正確には違っていました。あとストーリーも違うところもあり、例えば結婚生活第一日目の朝、舞台ではエリザベートは自室で自殺しようとして諦め歌を歌って気を失っていましたが、確か本の方では逃げようと庭を走り泉だか湖だかのほとりで気を失って倒れ、トートに再び部屋へ運ばれていたと思います。
あとですねー、私が気になっているのがマデレーネの存在なんですけど、彼女は一体何者なのか。
ルキーニ曰く「どこかで見たような妖しい美しさ」、そして本の描写では目の色を(正確には覚えていないのですが)「湖の青」というように表現しています。それより前にはまったく同じ表現で、トートの目の色を書いていました。
ということは、マデレーネはトート?・・・ちょ、ちょっと、それはかなり倒錯的すぎ・・・。
と思い、考えるのをやめました。きっと黄泉の国の人たちはみんな目が青くてトートに似た美しさを持っているのでしょう。
宝塚で各組で演じられた「エリザベート」。
私は雪組、宙組、月組、’07年雪組の舞台映像を見たことがあります。
おすすめは水さんがトートを演じられた2007年雪組の「エリザベート」です。
水トートは本当に感情表現豊かで、今までのトップさんトートがおそらく心の中に閉まっていらっしゃった心情が、面にどしどし出ています。正直なところ、今まで見た中で一番わかりやすい「エリザベート」だと思いました。
歌を期待するなら、宙組がおすすめです。姿月あさとさんのトートの歌の上手いことと言ったら!迫力があって、しかも容姿も綺麗で、冷たい感じとか美しさとか、死神らしさがふんだんに出ています。
・・・と、書いてきましたが、「じゃあ一体エリザベートは何で最後トートと結ばれての?」と聞かれたら、私にはさっぱりわかりません。舞台を見ても本を読んでも私にはいまだに理解できていません。
構成も歌も本当に楽しんで見ているんですけどねぇ。
歌はどれも素晴らしいです。使い回しが多いですが、完成度が高い歌ばかりだからこその使い回しだと思うので。
えー、なんだかよくわからない読書記録になってしまいました。・・・まぁ、今更ですね。
とりあえず、面白いのでまだご覧になったことがない方は舞台または舞台映像をどうぞ。そして見た後に小説を読んでください。
さて、次の本は『バッテリー?』。『バッテリー』シリーズ最終巻です。
評価;B
「A/L」「王家に捧ぐ歌」「エリザベート」と、宝塚三連発です。特に意図していたわけではないんですけどねぇ。
舞台「エリザベート」。
1992年ウィーンの初演以降人気を博し、各国で演じられて来ました。日本では宝塚歌劇団が上演権を獲得し、1996年雪組、1996年星組、1998年宙組、2002年花組、2005年月組、2007年雪組と繰り返し上演されています。
宝塚の舞台としての「エリザベート」の演出家が、この本の著者小池修一郎先生です。
小池先生は今年2007年世界陸上開会式の演出も担当されました。
その時ある意味宝塚代表として歌い踊っていたジェンヌさんたちが、2007年雪組「エリザベート」でトートを演じた水夏希さん率いる雪組男役の面々、5人合わせてAQUA5です。
とりあえずあらすじを書きます。・・・と言っても、あらすじは宝塚の公式HPのバックナンバー(2007年雪組)から頂いて来ました・・・。(すいません、書くのが面倒くさかったので・・・)
あ、これは小説です。「エリザベート」の舞台を文字化したものです。
以下あらすじ。
19世紀末。ヨーロッパ随一の美貌を謳われた、オーストリア=ハンガリー帝国皇妃エリザベートが、イタリア人アナーキスト、ルイジ・ルキーニに殺害された。ルキーニは独房内で自殺を図る。
煉獄の裁判所では、犯罪行為から百年も経ったにもかかわらず、ルキーニを未だ尋問している。ルキーニは、エリザベートは死と恋仲だった、エリザベート自身が死を望んでいたと主張する。そして、それを証明するため、エリザベートと同時代を生きた人々を霊廟から呼び起こす。最後にトート(死)が現われ、エリザベートを愛していたと告白する。
時代は1853年に遡る。少女のエリザベートは、ある日、綱渡りに挑戦しようとしてロープから落ち、意識不明の重体に陥る。冥界に迷い込んだエリザベートにトートは一目で惹きつけられる。トートはエリザベートに生命を返してやる。そしてその愛を得ようと、彼女を追い続ける決意をする。こうして、愛と死の輪舞(ロンド)が始まった。
ウィーンの宮廷では若き皇帝フランツ・ヨーゼフが、母親である皇太后ゾフィーの助言のもと、広大な国を治めていた。ゾフィーはフランツが彼のいとこのヘレネと結婚することを望んでおり、バート・イシュルでの見合いを計画する。しかし、フランツは一緒に来ていた妹のエリザベートを見初めてしまう。
1854年、ウィーンで二人の結婚式が行われる。トートは嫉妬を感じつつ、二人を見つめ、そしてついにエリザベートに話しかける、「最後のダンスは私のものだ」と。
エリザベートの結婚生活は、満足のいくものではなかった。古いしきたり、皇后としての務めをゾフィーに押し付けられたエリザベートは夫に助けを求めるが、フランツは取り合おうとはしなかった。失望したエリザベートにトートは近付き、誘惑する。しかしエリザベートは屈しなかった。結婚2年目に子供が生まれるが、その子さえゾフィーに取り上げられたエリザベートは、ゾフィーに対し次第に憎悪の念を募らせていく。
一方、赤ん坊にミルクもやれない暮らしを強いられている民衆は、美容のために毎日ミルク風呂に入る皇后に反感を募らせていた。トートはルキーニを煽り、人々を感化させる。ハンガリーの革命家エルマーたちは、革命の気運を高めていく。
ついに、フランツはエリザベートのすべての要求を受け入れ、エリザベートはゾフィーとの長年の確執に勝利する。エリザベートは「私の人生は私のもの」と言い放つ。そんなエリザベートをトートが見つめていた……。
上に引用したのは宝塚の舞台のあらすじですから、本とは若干異なります。
台詞もニュアンスは同じだけれども正確には違っていました。あとストーリーも違うところもあり、例えば結婚生活第一日目の朝、舞台ではエリザベートは自室で自殺しようとして諦め歌を歌って気を失っていましたが、確か本の方では逃げようと庭を走り泉だか湖だかのほとりで気を失って倒れ、トートに再び部屋へ運ばれていたと思います。
あとですねー、私が気になっているのがマデレーネの存在なんですけど、彼女は一体何者なのか。
ルキーニ曰く「どこかで見たような妖しい美しさ」、そして本の描写では目の色を(正確には覚えていないのですが)「湖の青」というように表現しています。それより前にはまったく同じ表現で、トートの目の色を書いていました。
ということは、マデレーネはトート?・・・ちょ、ちょっと、それはかなり倒錯的すぎ・・・。
と思い、考えるのをやめました。きっと黄泉の国の人たちはみんな目が青くてトートに似た美しさを持っているのでしょう。
宝塚で各組で演じられた「エリザベート」。
私は雪組、宙組、月組、’07年雪組の舞台映像を見たことがあります。
おすすめは水さんがトートを演じられた2007年雪組の「エリザベート」です。
水トートは本当に感情表現豊かで、今までのトップさんトートがおそらく心の中に閉まっていらっしゃった心情が、面にどしどし出ています。正直なところ、今まで見た中で一番わかりやすい「エリザベート」だと思いました。
歌を期待するなら、宙組がおすすめです。姿月あさとさんのトートの歌の上手いことと言ったら!迫力があって、しかも容姿も綺麗で、冷たい感じとか美しさとか、死神らしさがふんだんに出ています。
・・・と、書いてきましたが、「じゃあ一体エリザベートは何で最後トートと結ばれての?」と聞かれたら、私にはさっぱりわかりません。舞台を見ても本を読んでも私にはいまだに理解できていません。
構成も歌も本当に楽しんで見ているんですけどねぇ。
歌はどれも素晴らしいです。使い回しが多いですが、完成度が高い歌ばかりだからこその使い回しだと思うので。
えー、なんだかよくわからない読書記録になってしまいました。・・・まぁ、今更ですね。
とりあえず、面白いのでまだご覧になったことがない方は舞台または舞台映像をどうぞ。そして見た後に小説を読んでください。
さて、次の本は『バッテリー?』。『バッテリー』シリーズ最終巻です。
17冊目『ヴェルディ作 アイーダ』
2007年11月23日 読書
『ヴェルディ作 アイーダ』監修・高樹のぶ子 文・川村玲子 絵・三好貴子(STUDIO
CELLO) ’07 4/24
評価;B
ヴェルディ作のオペラ「アイーダ」を絵本にしたものです。
この本を読もうと思ったきっかけも宝塚の舞台です。
宝塚の専門チャンネルである「スカイステージ」で母が昔録画していた「王家に捧ぐ歌」を観たんですよね。
そして、まぁ、見事にはまったわけです。アイーダ役をやっていた安蘭けいさんと、作品自体に。あと星組に興味を持つきっかけにもなりました。
『アイーダ』のあらすじ。
若き兵士ラダメスは自分を愛するエジプトの王女アムネリスに仕える自らがエチオピアから連れてきた奴隷アイーダ(実はエチオピアの王女だが、その素性は誰も知らない)と相思相愛であり、将軍となった暁には勝利を彼女に捧げたいと願う。アムネリスもまた彼に心を寄せており、直感的にアイーダが恋敵であると悟り、激しく嫉妬する。アムネリスの父であるファラオはラダメスを将軍に任命し、エジプトに迫るエチオピアの討伐を命ずる。アイーダは舞台に一人残り、父であるエチオピア王と愛するラダメスが戦わなければならない運命を嘆く。
数日が経ち、エジプトにはエジプト軍勝利の一報が入る。しかし、アムネリスは祖国が敗れ沈痛な面持ちのアイーダに向かって「エジプト軍は勝ったが、ラダメスは戦死した」と虚偽を述べて動揺させ、自分もラダメスを想っていることを告げ、王女と奴隷という身分の相違から自分こそがラダメスを得るであろうことを宣言する。
ラダメスは軍勢を率いてエジプトに凱旋するが、彼はエチオピア人捕虜の釈放をファラオに願う。捕虜の中には身分を隠したアモナズロもいたので、アイーダはつい「お父さん」と言ってしまうが、アモナズロは「国王は戦死し、いまや我々は無力」と偽りを述べ、彼の身分は発覚しない。神官ラムフィスはアモナズロを人質として残すことを条件に捕虜釈放に同意、ファラオはラダメスに娘アムネリスを与え、次代国王にも指名する。勝ち誇るアムネリス、絶望に沈むアイーダ、復讐戦を画策するアモナズロ、それぞれの思いが交錯する。
次のエジプト軍の動きを探ろうとするアモナズロは、将軍ラダメスからそれを聞き出すようにアイーダに命じる。アイーダの誘導に、ラダメスは最高機密であるエジプト軍の行軍経路を口にしてしまう。アモナズロが欣喜雀躍して登場し、アイーダに一緒にエチオピアに逃げようと勧める。愕然とするラダメスは自らの軽率を悔いる。そこにアムネリスとラムフィス、祭司たちが現れ、アモナズロとアイーダ父娘は逃亡するが、ラダメスは自らの意思でそこに留まり、国を裏切った者として捕縛される。
アムネリスは裁判を待つラダメスに面会する。彼女は、エチオピア軍の再起は鎮圧され、アモナズロは戦死したがアイーダは行方不明のままであると彼に告げ、ラダメスがアイーダを諦め自分の愛を受け容れてくれるなら、自分も助命に奔走しよう、とまで言うが、ラダメスはその提案を拒絶し審判の場へ向かう。アムネリスは裁判を司る祭司たちに必死に減刑を乞うが聞き入れられない。アムネリスが苦しみ悶える中、ラダメスは一切の弁明を行わず黙秘、地下牢に生き埋めの刑と決定する。
ラダメスが地下牢に入れられると、そこにはアイーダが待っていた。彼女は判決を予想してここに潜んでいたのだと言う。2人は現世の苦しみに別れを告げ、平穏に死んで行く。
と、いうのがウィキペディアから引っ張ってきたあらすじです。
「王家に捧ぐ歌」はやはり原作を脚色してますし、いつも言うことですが、絵本を借りたのはずいぶん前で記憶があやふやですし・・・。
ご存知の方は多いと思いますが、オペラでラダメスがエジプトに凱旋する時の「凱旋行進曲」は、日本でサッカーの応援歌として歌われている(「ウォーウォーーーウォウォウォウォッウォッウォ・・・」と歌われている)あの曲です。
アイーダのあらすじが知りたい、という人にはおすすめの本です。絵も綺麗ですしね。
・・・私は本当に世界のことを知らないのですが、エジプト人って肌白いんですか・・・?アムネリス様色白い。
「王家に捧ぐ歌」の話になります。
いきなりですが、安蘭けいさんは素晴らしいです。男役の役者さんなのに、見事に女役のアイーダを演じていらっしゃいます。愛称でトウコさんと呼ばせていただきますが、本当に、この方は二枚目の役も、おじさんの役も、悪役も、男役として完璧に演じていらっしゃいますし、女役でも娘役顔負けの演技をしていらっしゃいます。男役が女役を演じる時にえてして娘役より声が低くなり、なんとなくニューハーフっぽくなるのはままあることですが、トウコさんはお芝居も歌も完璧に男役の時と声が変わります。無理なく高音が出せる声をお持ちです。
あと、トウコさんは足が素晴らしく綺麗です。全く足フェチじゃない私でも、綺麗すぎて驚いたぐらいです。
・・・って、何故トウコさん賛美になってしまっているんだろうか・・・。
・・・まぁ、私が「王家に捧ぐ歌好き!」って言う70%はトウコさんで持ってるんですけどね。
あとはキラキラの湖月わたるさんとか、檀れいさんのはまり役とか、一樹千尋さんの名演技とか、ファラオの驚きの姿とかで出来ています。
宝塚星組成分分析機(http://seibun.nosv.org/maker.php/takarazukastar/)での結果のほとんどが、
ナオミの62%は狂気のアモナスロで出来ています
ナオミの24%は甘い毒牙で出来ています
ナオミの7%はサウフェのサラッ毛で出来ています
ナオミの6%はカマンテのしゃがれ声で出来ています
ナオミの1%はファラオの顎で出来ています
この通り、主に「王家に捧ぐ歌」で出来ているぐらい大好きなのですよ、私。
蛇足ですが、この頃の星組から知っていたかったと切実に思います。
舞台を生で観たかったですし、汐美真帆さんや大真みらんさんもいらっしゃったし。
なによりトウコ&ケロ、ゆかり&ももこのコンビが見たかった!!
・・・という、本に関係ない話題で、締めます。
次は『エリザベート―愛と死の輪舞』。
映像じゃないですよー、本ですよー。・・・宝塚関係であることに変わりはありませんけどね。
追記。(2008年1月25日)
大学の授業で、「過去現在を問わず自分が最もラブストーリーだと思う話を挙げ何故そう思うのか理由を述べよ」(書籍でもドラマでも実際の身近な出来事でもなんでも良い)という課題が出たので、『王家に捧ぐ歌』と『アイーダ』を絡めてレポートを書いてみました。以下本文です。
「一番のラブストーリー」とは何か。
現在までに出会った一番のラブストーリーとして最初に思い付くのは宝塚歌劇の『王家に捧ぐ歌』であった。私は2003年に宝塚歌劇団星組によって演じられたこの舞台を生で観たことはなかったが、最近になってこの舞台を映像で観る機会を得た。音楽や装飾も素晴らしく、舞台全体を通して演劇として評価できるのだが、それはラブストーリーには直接関係してないのでここではストーリーにのみ焦点を当てる。しかし、先に言っておくと、私はこの舞台よりもこの舞台をきっかけにして知ったこの舞台の原作の方がよりラブストーリーであると思う。それは後に書くことにして、先に『王家に捧ぐ歌』について書く。
『王家に捧ぐ歌』とは、古代エジプトの将軍ラダメスとエジプト軍に捕えられ奴隷となったエチオピアの王女アイーダとの悲恋を、ラダメスに想いを寄せるファラオの娘アムネリス、エジプトを憎むアイーダの父王アモナスロ・兄ウバルドそれぞれの想いを交えて描いた作品である。国を捨て共に逃げる覚悟を決めアイーダに決行の日にちを告げたラダメスの行動は、結果としてアモナスロ、ウバルドのファラオ暗殺に間接的に手を貸してしまったことになり、ラダメスは裏切り者として地下牢に閉じ込められ生き埋めにされることとなった。扉が閉ざされる前に忍び込んでいたアイーダとラダメスは地下牢で再会し、共に眠るように死んでいく。「あなたは生き続けると思った。それだけが私の支えだった」と絶望するラダメスに言うアイーダの言葉「私たちは愛し合ったのよ。生きようと死のうとそれがすべてよ」が良い。生きている人間にとって考えられ得る終わりのない世界とは死の世界であり、死の世界で結ばれるというのは究極のラブストーリーであるのだ。
しかし、そのような台詞があったとしても、『王家に捧ぐ歌』は、その原作よりはラブストーリーではない。なぜなら、その台詞を言った後アイーダは、「一つだけできることが残されているわ。祈ることよ。愛し合う者たちが死ななくても済むように」と言う。ラダメスが「人と人が生きてこの世界で愛し合えるように」「この世に平和を、この地上に輝きを」と歌う。父ファラオを殺されたことに怒り、エチオピアの討伐を決意したアムネリスも、ラダメスの死に心を動かし、「私が生きている限りエジプトは二度と戦いを挑んではなりません」と宣言する。結局のところ、『王家に捧ぐ歌』とはラブストーリーの形を取った平和奨励作品なのだ。たとえ究極の恋愛であったとしても、そこにそれ以上に訴えたい他の要素があれば、それは完全なる一番のラブストーリーだとは言い切ることができない。
そこで、私は『王家に捧ぐ歌』の原作、ヴェルディ作のオペラ『アイーダ』を一番のラブストーリーであると考える。オペラとは得てして荒唐無稽なキャラクターやストーリー展開であるが、彼ら他のことを考えず登場人物は恋愛のみを生きている。ラダメスとアイーダも例に漏れずだ。身勝手なキャラクターこそラブストーリーに相応しい。
『王家に捧ぐ歌』と『アイーダ』、どちらが面白いかは、ラブストーリーとはまた別の問題だ。
ということでした。
ちなみにこのレポートを書くために参考にした図書はこの絵本と『宝塚アカデミア 21』でした。『宝塚アカデミア』なんて私の大嫌いな部類に入る本なので読んだことなんてありませんでしたが、『王家に捧ぐ歌』特集をやっていたので、もしかしたら原作との比較なんかやってくれちゃったりしているのかと期待して読んでみたら、まぁクソのような阿呆らしい文章の数々。あんたらとりあえず批判したいだけちゃうん?というね。よかったねー、こんな阿呆な文章書いてるぐらいでお金もらえてー。と、胸糞悪くなった本でした。二度と読むまい。
母に「あんた趣味と兼ねてるやろ」って言われましたが、私は至って真面目です。詩の授業でも、『王家に捧ぐ歌』とか『さくら』とか月組78期コンビとかをモデルにした詩を書きましたが、それもただ良いテーマだったから選んだだけのことで。
でもまぁ、趣味と兼ねられることに越したことはないでしょうよ。
CELLO) ’07 4/24
評価;B
ヴェルディ作のオペラ「アイーダ」を絵本にしたものです。
この本を読もうと思ったきっかけも宝塚の舞台です。
宝塚の専門チャンネルである「スカイステージ」で母が昔録画していた「王家に捧ぐ歌」を観たんですよね。
そして、まぁ、見事にはまったわけです。アイーダ役をやっていた安蘭けいさんと、作品自体に。あと星組に興味を持つきっかけにもなりました。
『アイーダ』のあらすじ。
若き兵士ラダメスは自分を愛するエジプトの王女アムネリスに仕える自らがエチオピアから連れてきた奴隷アイーダ(実はエチオピアの王女だが、その素性は誰も知らない)と相思相愛であり、将軍となった暁には勝利を彼女に捧げたいと願う。アムネリスもまた彼に心を寄せており、直感的にアイーダが恋敵であると悟り、激しく嫉妬する。アムネリスの父であるファラオはラダメスを将軍に任命し、エジプトに迫るエチオピアの討伐を命ずる。アイーダは舞台に一人残り、父であるエチオピア王と愛するラダメスが戦わなければならない運命を嘆く。
数日が経ち、エジプトにはエジプト軍勝利の一報が入る。しかし、アムネリスは祖国が敗れ沈痛な面持ちのアイーダに向かって「エジプト軍は勝ったが、ラダメスは戦死した」と虚偽を述べて動揺させ、自分もラダメスを想っていることを告げ、王女と奴隷という身分の相違から自分こそがラダメスを得るであろうことを宣言する。
ラダメスは軍勢を率いてエジプトに凱旋するが、彼はエチオピア人捕虜の釈放をファラオに願う。捕虜の中には身分を隠したアモナズロもいたので、アイーダはつい「お父さん」と言ってしまうが、アモナズロは「国王は戦死し、いまや我々は無力」と偽りを述べ、彼の身分は発覚しない。神官ラムフィスはアモナズロを人質として残すことを条件に捕虜釈放に同意、ファラオはラダメスに娘アムネリスを与え、次代国王にも指名する。勝ち誇るアムネリス、絶望に沈むアイーダ、復讐戦を画策するアモナズロ、それぞれの思いが交錯する。
次のエジプト軍の動きを探ろうとするアモナズロは、将軍ラダメスからそれを聞き出すようにアイーダに命じる。アイーダの誘導に、ラダメスは最高機密であるエジプト軍の行軍経路を口にしてしまう。アモナズロが欣喜雀躍して登場し、アイーダに一緒にエチオピアに逃げようと勧める。愕然とするラダメスは自らの軽率を悔いる。そこにアムネリスとラムフィス、祭司たちが現れ、アモナズロとアイーダ父娘は逃亡するが、ラダメスは自らの意思でそこに留まり、国を裏切った者として捕縛される。
アムネリスは裁判を待つラダメスに面会する。彼女は、エチオピア軍の再起は鎮圧され、アモナズロは戦死したがアイーダは行方不明のままであると彼に告げ、ラダメスがアイーダを諦め自分の愛を受け容れてくれるなら、自分も助命に奔走しよう、とまで言うが、ラダメスはその提案を拒絶し審判の場へ向かう。アムネリスは裁判を司る祭司たちに必死に減刑を乞うが聞き入れられない。アムネリスが苦しみ悶える中、ラダメスは一切の弁明を行わず黙秘、地下牢に生き埋めの刑と決定する。
ラダメスが地下牢に入れられると、そこにはアイーダが待っていた。彼女は判決を予想してここに潜んでいたのだと言う。2人は現世の苦しみに別れを告げ、平穏に死んで行く。
と、いうのがウィキペディアから引っ張ってきたあらすじです。
「王家に捧ぐ歌」はやはり原作を脚色してますし、いつも言うことですが、絵本を借りたのはずいぶん前で記憶があやふやですし・・・。
ご存知の方は多いと思いますが、オペラでラダメスがエジプトに凱旋する時の「凱旋行進曲」は、日本でサッカーの応援歌として歌われている(「ウォーウォーーーウォウォウォウォッウォッウォ・・・」と歌われている)あの曲です。
アイーダのあらすじが知りたい、という人にはおすすめの本です。絵も綺麗ですしね。
・・・私は本当に世界のことを知らないのですが、エジプト人って肌白いんですか・・・?アムネリス様色白い。
「王家に捧ぐ歌」の話になります。
いきなりですが、安蘭けいさんは素晴らしいです。男役の役者さんなのに、見事に女役のアイーダを演じていらっしゃいます。愛称でトウコさんと呼ばせていただきますが、本当に、この方は二枚目の役も、おじさんの役も、悪役も、男役として完璧に演じていらっしゃいますし、女役でも娘役顔負けの演技をしていらっしゃいます。男役が女役を演じる時にえてして娘役より声が低くなり、なんとなくニューハーフっぽくなるのはままあることですが、トウコさんはお芝居も歌も完璧に男役の時と声が変わります。無理なく高音が出せる声をお持ちです。
あと、トウコさんは足が素晴らしく綺麗です。全く足フェチじゃない私でも、綺麗すぎて驚いたぐらいです。
・・・って、何故トウコさん賛美になってしまっているんだろうか・・・。
・・・まぁ、私が「王家に捧ぐ歌好き!」って言う70%はトウコさんで持ってるんですけどね。
あとはキラキラの湖月わたるさんとか、檀れいさんのはまり役とか、一樹千尋さんの名演技とか、ファラオの驚きの姿とかで出来ています。
宝塚星組成分分析機(http://seibun.nosv.org/maker.php/takarazukastar/)での結果のほとんどが、
ナオミの62%は狂気のアモナスロで出来ています
ナオミの24%は甘い毒牙で出来ています
ナオミの7%はサウフェのサラッ毛で出来ています
ナオミの6%はカマンテのしゃがれ声で出来ています
ナオミの1%はファラオの顎で出来ています
この通り、主に「王家に捧ぐ歌」で出来ているぐらい大好きなのですよ、私。
蛇足ですが、この頃の星組から知っていたかったと切実に思います。
舞台を生で観たかったですし、汐美真帆さんや大真みらんさんもいらっしゃったし。
なによりトウコ&ケロ、ゆかり&ももこのコンビが見たかった!!
・・・という、本に関係ない話題で、締めます。
次は『エリザベート―愛と死の輪舞』。
映像じゃないですよー、本ですよー。・・・宝塚関係であることに変わりはありませんけどね。
追記。(2008年1月25日)
大学の授業で、「過去現在を問わず自分が最もラブストーリーだと思う話を挙げ何故そう思うのか理由を述べよ」(書籍でもドラマでも実際の身近な出来事でもなんでも良い)という課題が出たので、『王家に捧ぐ歌』と『アイーダ』を絡めてレポートを書いてみました。以下本文です。
「一番のラブストーリー」とは何か。
現在までに出会った一番のラブストーリーとして最初に思い付くのは宝塚歌劇の『王家に捧ぐ歌』であった。私は2003年に宝塚歌劇団星組によって演じられたこの舞台を生で観たことはなかったが、最近になってこの舞台を映像で観る機会を得た。音楽や装飾も素晴らしく、舞台全体を通して演劇として評価できるのだが、それはラブストーリーには直接関係してないのでここではストーリーにのみ焦点を当てる。しかし、先に言っておくと、私はこの舞台よりもこの舞台をきっかけにして知ったこの舞台の原作の方がよりラブストーリーであると思う。それは後に書くことにして、先に『王家に捧ぐ歌』について書く。
『王家に捧ぐ歌』とは、古代エジプトの将軍ラダメスとエジプト軍に捕えられ奴隷となったエチオピアの王女アイーダとの悲恋を、ラダメスに想いを寄せるファラオの娘アムネリス、エジプトを憎むアイーダの父王アモナスロ・兄ウバルドそれぞれの想いを交えて描いた作品である。国を捨て共に逃げる覚悟を決めアイーダに決行の日にちを告げたラダメスの行動は、結果としてアモナスロ、ウバルドのファラオ暗殺に間接的に手を貸してしまったことになり、ラダメスは裏切り者として地下牢に閉じ込められ生き埋めにされることとなった。扉が閉ざされる前に忍び込んでいたアイーダとラダメスは地下牢で再会し、共に眠るように死んでいく。「あなたは生き続けると思った。それだけが私の支えだった」と絶望するラダメスに言うアイーダの言葉「私たちは愛し合ったのよ。生きようと死のうとそれがすべてよ」が良い。生きている人間にとって考えられ得る終わりのない世界とは死の世界であり、死の世界で結ばれるというのは究極のラブストーリーであるのだ。
しかし、そのような台詞があったとしても、『王家に捧ぐ歌』は、その原作よりはラブストーリーではない。なぜなら、その台詞を言った後アイーダは、「一つだけできることが残されているわ。祈ることよ。愛し合う者たちが死ななくても済むように」と言う。ラダメスが「人と人が生きてこの世界で愛し合えるように」「この世に平和を、この地上に輝きを」と歌う。父ファラオを殺されたことに怒り、エチオピアの討伐を決意したアムネリスも、ラダメスの死に心を動かし、「私が生きている限りエジプトは二度と戦いを挑んではなりません」と宣言する。結局のところ、『王家に捧ぐ歌』とはラブストーリーの形を取った平和奨励作品なのだ。たとえ究極の恋愛であったとしても、そこにそれ以上に訴えたい他の要素があれば、それは完全なる一番のラブストーリーだとは言い切ることができない。
そこで、私は『王家に捧ぐ歌』の原作、ヴェルディ作のオペラ『アイーダ』を一番のラブストーリーであると考える。オペラとは得てして荒唐無稽なキャラクターやストーリー展開であるが、彼ら他のことを考えず登場人物は恋愛のみを生きている。ラダメスとアイーダも例に漏れずだ。身勝手なキャラクターこそラブストーリーに相応しい。
『王家に捧ぐ歌』と『アイーダ』、どちらが面白いかは、ラブストーリーとはまた別の問題だ。
ということでした。
ちなみにこのレポートを書くために参考にした図書はこの絵本と『宝塚アカデミア 21』でした。『宝塚アカデミア』なんて私の大嫌いな部類に入る本なので読んだことなんてありませんでしたが、『王家に捧ぐ歌』特集をやっていたので、もしかしたら原作との比較なんかやってくれちゃったりしているのかと期待して読んでみたら、まぁクソのような阿呆らしい文章の数々。あんたらとりあえず批判したいだけちゃうん?というね。よかったねー、こんな阿呆な文章書いてるぐらいでお金もらえてー。と、胸糞悪くなった本でした。二度と読むまい。
母に「あんた趣味と兼ねてるやろ」って言われましたが、私は至って真面目です。詩の授業でも、『王家に捧ぐ歌』とか『さくら』とか月組78期コンビとかをモデルにした詩を書きましたが、それもただ良いテーマだったから選んだだけのことで。
でもまぁ、趣味と兼ねられることに越したことはないでしょうよ。
16冊目『怪盗紳士ルパン』
2007年11月17日 読書
『怪盗紳士ルパン』モーリス・ルブラン 平岡敦訳(ハヤカワ文庫) ’07 3/16
評価;A
「アルセーヌ・ルパンの逮捕」「獄中のアルセーヌ・ルパン」「アルセーヌ・ルパンの脱獄」「謎の旅行者」「王妃の首飾り」「ハートの7」「アンベール夫人の金庫」「黒真珠」「遅かりしシャーロック・ホームズ」の九篇が収録されている「アルセーヌ・ルパン」シリーズの短篇集。
小さい頃は本当に本を読まない子どもだったで、『ルパン』シリーズも例に漏れず読んだことはありませんでした。
おそらく世間の大半と同じように、「ルパン」=「三世」でした。
そんな私がこの本を手に取ろうと思ったきっかけは、宝塚歌劇現宙組主演コンビ大和悠河さんと陽月華さんのお披露目公演が「A/L(アール)」というアルセーヌ・ルパン(?と言えるのかどうか?)を主人公にした舞台だったからです。
舞台を見る前に「ルパン」というものを少しでも知っておこう、と図書館で借りてみました。
面白かったです。
どれがどういう風に面白かったとか細かいことは覚えていないのですが、とにかく全編を通して楽しめたという覚えがあります。そして大和悠河さんで想像したらなかなかはまり役だったというのも。
詳しいのかどうかはわからないけれど、本の感想は舞台の感想を書いた時にちらっと書いているので、下のURLからそちらをどうぞ・・・。(あっちの方が読み終わってすぐの頃だったもので)
http://diarynote.jp/d/40825/20070326.html
ちなみにこれを書いている今現在は、同訳者の『カリオストロ伯爵夫人』を読んでいます。
ルパンはもちろんタニちゃんに、伯爵夫人はトウコさんに変換しています。(笑)
評価;A
「アルセーヌ・ルパンの逮捕」「獄中のアルセーヌ・ルパン」「アルセーヌ・ルパンの脱獄」「謎の旅行者」「王妃の首飾り」「ハートの7」「アンベール夫人の金庫」「黒真珠」「遅かりしシャーロック・ホームズ」の九篇が収録されている「アルセーヌ・ルパン」シリーズの短篇集。
小さい頃は本当に本を読まない子どもだったで、『ルパン』シリーズも例に漏れず読んだことはありませんでした。
おそらく世間の大半と同じように、「ルパン」=「三世」でした。
そんな私がこの本を手に取ろうと思ったきっかけは、宝塚歌劇現宙組主演コンビ大和悠河さんと陽月華さんのお披露目公演が「A/L(アール)」というアルセーヌ・ルパン(?と言えるのかどうか?)を主人公にした舞台だったからです。
舞台を見る前に「ルパン」というものを少しでも知っておこう、と図書館で借りてみました。
面白かったです。
どれがどういう風に面白かったとか細かいことは覚えていないのですが、とにかく全編を通して楽しめたという覚えがあります。そして大和悠河さんで想像したらなかなかはまり役だったというのも。
詳しいのかどうかはわからないけれど、本の感想は舞台の感想を書いた時にちらっと書いているので、下のURLからそちらをどうぞ・・・。(あっちの方が読み終わってすぐの頃だったもので)
http://diarynote.jp/d/40825/20070326.html
ちなみにこれを書いている今現在は、同訳者の『カリオストロ伯爵夫人』を読んでいます。
ルパンはもちろんタニちゃんに、伯爵夫人はトウコさんに変換しています。(笑)
15冊目『死神の精度』
2007年9月30日 読書
『死神の精度』伊坂 幸太郎(文藝春秋) ’07 3/15
評価;A
ある一人の死神を主人公にした短篇集。
「死神の精度」「死神と藤田」「吹雪に死神」「恋愛で死神」「旅路を死神」「死神対老女」
音楽を愛する死神の前で繰り広げられる6つの人間模様が描かれています。
人間でない存在である死神という存在を真面目、それゆえ面白おかしく描きつつ、死神独特の人間に感情移入することのない冷静な目線で世界を眺める。
伊坂幸太郎ならでは(←友人談)の「うぉーすげー」な世界が広がっております。
私は読んだことはないのですが、他の伊坂作品の登場人物がこの本に出ているそうです。(落書きしていた彼)
一つ読むごとに心がほこほこしました。
さて、次の本は、『怪盗紳士ルパン』。宝塚関係で。(笑)
評価;A
ある一人の死神を主人公にした短篇集。
「死神の精度」「死神と藤田」「吹雪に死神」「恋愛で死神」「旅路を死神」「死神対老女」
音楽を愛する死神の前で繰り広げられる6つの人間模様が描かれています。
人間でない存在である死神という存在を真面目、それゆえ面白おかしく描きつつ、死神独特の人間に感情移入することのない冷静な目線で世界を眺める。
伊坂幸太郎ならでは(←友人談)の「うぉーすげー」な世界が広がっております。
私は読んだことはないのですが、他の伊坂作品の登場人物がこの本に出ているそうです。(落書きしていた彼)
一つ読むごとに心がほこほこしました。
さて、次の本は、『怪盗紳士ルパン』。宝塚関係で。(笑)
14冊目『NO.6 ♯5』
2007年9月29日 読書
『NO.6 ♯5』あさの あつこ(講談社) ’07 3/3
評価;B
「人狩り」によって矯正施設へと送り込まれた紫苑とネズミは、生き残りをかけて地下の最奥部をめざす。そこは無数の人間の塊が蠢く、この世の地獄だった。生きて戻ることはできるのか。一方、救出を待つ沙布の身体には異変が起きていた―。この都市は、人間を支配しようとしている。無慈悲に人を食らう、支配欲に猛り狂った怪物だ。誰も気がついていないのだろうか。いよいよNO.6の暗部へ。
・・・という内容だったらしい。あぁ、そういえば、「グロい」って思った覚えがある気がする。(ただし、あまりグロさに慣れていない私のことだから、程度は低いと思う)
ちなみに今月22日に発売された6巻は「地獄図と化した矯正施設内で、生き残りをかける紫苑とネズミ。過酷な状況下でネズミの過去が明らかにされ、2人の関係は変容する。」という内容らしい。ネズミの過去!しかも変容するようなショッキングな出来事?なんにせよ、楽しみです。早く地元の図書館買ってくれ〜〜〜。
次は『死神の精度』。伊坂さんの本です。
評価;B
「人狩り」によって矯正施設へと送り込まれた紫苑とネズミは、生き残りをかけて地下の最奥部をめざす。そこは無数の人間の塊が蠢く、この世の地獄だった。生きて戻ることはできるのか。一方、救出を待つ沙布の身体には異変が起きていた―。この都市は、人間を支配しようとしている。無慈悲に人を食らう、支配欲に猛り狂った怪物だ。誰も気がついていないのだろうか。いよいよNO.6の暗部へ。
・・・という内容だったらしい。あぁ、そういえば、「グロい」って思った覚えがある気がする。(ただし、あまりグロさに慣れていない私のことだから、程度は低いと思う)
ちなみに今月22日に発売された6巻は「地獄図と化した矯正施設内で、生き残りをかける紫苑とネズミ。過酷な状況下でネズミの過去が明らかにされ、2人の関係は変容する。」という内容らしい。ネズミの過去!しかも変容するようなショッキングな出来事?なんにせよ、楽しみです。早く地元の図書館買ってくれ〜〜〜。
次は『死神の精度』。伊坂さんの本です。
13冊目『駆け抜ける蒼き宿命―ダルリアッド』
2007年9月20日 読書
『駆け抜ける蒼き宿命―ダルリアッド』駒崎 優(角川ビーンズ文庫) ’07 2/24
評価;C
死にかけているところを闘神ルーグに助けられ、その愛人にさせられている青年ダルリアッドの話。
いわゆるBLですよ。その手の話が好きな人には楽しめるのではないでしょうか?
嫌悪感はなかったけれど、続きを読みたいとも思わない本でした。
次の本は『NO.6 ♯5』。
評価;C
死にかけているところを闘神ルーグに助けられ、その愛人にさせられている青年ダルリアッドの話。
いわゆるBLですよ。その手の話が好きな人には楽しめるのではないでしょうか?
嫌悪感はなかったけれど、続きを読みたいとも思わない本でした。
次の本は『NO.6 ♯5』。
12冊目『星の物語 Twinkling Tales』
2007年9月20日 読書
『星の物語 Twinkling Tales』文/吉元由美 写真/藤井旭(KKベストセラーズ) ’07 2/18
評価;C
一つ前の日記でも書きましたが、正直まったく覚えていません。
写真集か何か?
当時の私の評価ではCとなっていますが。
吉元さんの本は実はこれで二冊目でした。
・・・次の本は『駆け抜ける蒼き宿命―ダルリアッド』。めっちゃBLです。うーん、なんでこの本を読んだんだろう・・・?
評価;C
一つ前の日記でも書きましたが、正直まったく覚えていません。
写真集か何か?
当時の私の評価ではCとなっていますが。
吉元さんの本は実はこれで二冊目でした。
・・・次の本は『駆け抜ける蒼き宿命―ダルリアッド』。めっちゃBLです。うーん、なんでこの本を読んだんだろう・・・?
11冊目『大人のための残酷童話』
2007年9月17日 読書
『大人のための残酷童話』倉橋 由美子(新潮文庫) ’07 2/13
評価;A
大学の授業で文章の表現法を学ぶものがありました。修飾語を学習した時に倉橋由美子の『アポロンの首』という作品の、修飾語を穴抜きにして各自考えるという課題があり、その時に読んだその短篇がとても面白かったんですよ。
拾った美しい少年の首を家に飾る(育てる?)女の子(女性?)の話。
こんなよくわからない話が、すごく美しく書かれているんですよ。美しい病的な世界とでもいうか。
私はそれまで倉橋さんのことを知らなかったんですが、それをきっかけにして作品を読んでみました。
それがこの『大人のための残酷童話』。
なんというか、エロそしてグロのオンパレードといった感じです。
綺麗なグロ(『アポロンの首』的な)はなかなか好きだけれど、私エロが特に好きなわけでないので、その点少し辛かったのですが、そんなことよりも、あのみんなが知っている童話の数々をこれほどまでに脚色できるのがすごいです。しかも格言つきで。
童話+エロ・グロ=残酷童話です。
そういえば、今思い出しましたが、この本昔古本屋で手に取ったことがある気がします。
当時は『本当は怖いグリム童話』とかがはやっていて、「ってか、怖いも何も、それが本来のグリム童話やろ?」と、その流行をしょうもなく思っていた私ですが(今もそうですけどね)、一応『大人のための残酷童話』手に取ってみました。パラパラと中をのぞいて、エロくてやめました。
あぁ、そういえば、そんな過去があったなぁ。ある意味偶然の再会。
再会は良いものでした。
さて、次の本は、『星の物語 Twinkling Tales』。
・・・先に言っておきますと、完璧に内容を忘れています。だからいつも以上に大した感想が書けません・・・。
評価;A
大学の授業で文章の表現法を学ぶものがありました。修飾語を学習した時に倉橋由美子の『アポロンの首』という作品の、修飾語を穴抜きにして各自考えるという課題があり、その時に読んだその短篇がとても面白かったんですよ。
拾った美しい少年の首を家に飾る(育てる?)女の子(女性?)の話。
こんなよくわからない話が、すごく美しく書かれているんですよ。美しい病的な世界とでもいうか。
私はそれまで倉橋さんのことを知らなかったんですが、それをきっかけにして作品を読んでみました。
それがこの『大人のための残酷童話』。
なんというか、エロそしてグロのオンパレードといった感じです。
綺麗なグロ(『アポロンの首』的な)はなかなか好きだけれど、私エロが特に好きなわけでないので、その点少し辛かったのですが、そんなことよりも、あのみんなが知っている童話の数々をこれほどまでに脚色できるのがすごいです。しかも格言つきで。
童話+エロ・グロ=残酷童話です。
そういえば、今思い出しましたが、この本昔古本屋で手に取ったことがある気がします。
当時は『本当は怖いグリム童話』とかがはやっていて、「ってか、怖いも何も、それが本来のグリム童話やろ?」と、その流行をしょうもなく思っていた私ですが(今もそうですけどね)、一応『大人のための残酷童話』手に取ってみました。パラパラと中をのぞいて、エロくてやめました。
あぁ、そういえば、そんな過去があったなぁ。ある意味偶然の再会。
再会は良いものでした。
さて、次の本は、『星の物語 Twinkling Tales』。
・・・先に言っておきますと、完璧に内容を忘れています。だからいつも以上に大した感想が書けません・・・。
10冊目『ネバーランド』
2007年9月15日 読書
『ネバーランド』恩田 陸(集英社) ’07 2/5
評価;B
冬休み、寮に残ったのは美国(よしくに)と寛司と光浩の三人だけだった。
岩槻の出現(・・・)あたりで萩尾望都の「トーマの心臓」っぽいなぁと思ったら、本当にあとがきに「当初の計画では、『トーマの心臓』をやる予定だった。」って書いてあった。
この4人の関係、何かを思い出す。と思ったら、そうだ、私の中のハリポタ親世代のイメージだと気づきました。
光浩=ジェームズ、寛司=シリウス、美国=リーマス、統=ピーター(うーん、これだけはどうかと思うが)
寛司と美国の関係が気になるところ。美国が寛司を意識しているというストーリーの始まり方だったのでそういうので進んでいくのかと思いきや、最後はほぼ光浩のストーリーメインだし。
作者の入れたかった話をとにかくぎゅぎゅぎゅっと無理やり詰め込んだ感が漂う作品です。そんなわけで、一冊の本としてのまとまりはあまりないですが、ストーリーは面白いです。
ハリー・ポッターといえば、5巻の上数ページで挫折してるくせに(私は4巻からハリポタの話の雰囲気が苦手になってきてしまって・・・)、5,6,7巻の内容を最後まで知っています。内容はもちろん申しませんが、なんというか、うーん。一言だけ言うならば、「私が『ハリポタ』を読みきるのは果てしなく未来のことだ」ということ。
親世代が大好きです。リーマス大好きです。シリウスは自分勝手だけど、愛すべきキャラです。ジェームズは少し謎で良いです。ピーターはどうでもいいです。
でも、これだけでは読み進むことができません。だって、ハリポタのメインは子世代だもの・・・。
誰かハリポタの魅力を私にもう一度語ってください・・・。
次の本は『大人のための残酷童話』。
私にしては意外な本だと思います。
評価;B
冬休み、寮に残ったのは美国(よしくに)と寛司と光浩の三人だけだった。
岩槻の出現(・・・)あたりで萩尾望都の「トーマの心臓」っぽいなぁと思ったら、本当にあとがきに「当初の計画では、『トーマの心臓』をやる予定だった。」って書いてあった。
この4人の関係、何かを思い出す。と思ったら、そうだ、私の中のハリポタ親世代のイメージだと気づきました。
光浩=ジェームズ、寛司=シリウス、美国=リーマス、統=ピーター(うーん、これだけはどうかと思うが)
寛司と美国の関係が気になるところ。美国が寛司を意識しているというストーリーの始まり方だったのでそういうので進んでいくのかと思いきや、最後はほぼ光浩のストーリーメインだし。
作者の入れたかった話をとにかくぎゅぎゅぎゅっと無理やり詰め込んだ感が漂う作品です。そんなわけで、一冊の本としてのまとまりはあまりないですが、ストーリーは面白いです。
ハリー・ポッターといえば、5巻の上数ページで挫折してるくせに(私は4巻からハリポタの話の雰囲気が苦手になってきてしまって・・・)、5,6,7巻の内容を最後まで知っています。内容はもちろん申しませんが、なんというか、うーん。一言だけ言うならば、「私が『ハリポタ』を読みきるのは果てしなく未来のことだ」ということ。
親世代が大好きです。リーマス大好きです。シリウスは自分勝手だけど、愛すべきキャラです。ジェームズは少し謎で良いです。ピーターはどうでもいいです。
でも、これだけでは読み進むことができません。だって、ハリポタのメインは子世代だもの・・・。
誰かハリポタの魅力を私にもう一度語ってください・・・。
次の本は『大人のための残酷童話』。
私にしては意外な本だと思います。
9冊目『NO.6 ♯4』
2007年9月12日 読書
『NO.6 ♯4』あさの あつこ(講談社) ’07 2/3
評価;A
沙布救出作戦本格化。
主役二人のラブラブ度が減。
いや、減ではないけれども、シリアス度が増してきてる。
あれ?もしかしたらシリアスにかこつけてラブラブ度上ってるかもしれない。
みんなから(男からも)惚れられるイヴ(=ネズミ)。
ネズミの舞台描写が見たかったよー。
是非紫苑に見に行ってもらって絶賛の心境を読みたかった。
2巻では力河に客を取れと言われ、拒否すると「似たようなことやってきたんだろう。今更純情ぶるな」と言われ、3巻ではコンクを誘惑してたらしこみ(ん?)、4巻ではNO.6の高官を捕らえるための囮役をやったイヌカシに「こんな役、何で、おまえがやらないんだ」「おまえなら娼婦の役がぴったりだよ。男をたぶらかして、骨抜きにする。嘘つきで淫らで性悪の役だ。地でいける」なんて言われる。
こんなネズミが大好きです。(結論)
次は『ネバーランド』。なかなか萌え萌えする作品ですね。
評価;A
沙布救出作戦本格化。
主役二人のラブラブ度が減。
いや、減ではないけれども、シリアス度が増してきてる。
あれ?もしかしたらシリアスにかこつけてラブラブ度上ってるかもしれない。
みんなから(男からも)惚れられるイヴ(=ネズミ)。
ネズミの舞台描写が見たかったよー。
是非紫苑に見に行ってもらって絶賛の心境を読みたかった。
2巻では力河に客を取れと言われ、拒否すると「似たようなことやってきたんだろう。今更純情ぶるな」と言われ、3巻ではコンクを誘惑してたらしこみ(ん?)、4巻ではNO.6の高官を捕らえるための囮役をやったイヌカシに「こんな役、何で、おまえがやらないんだ」「おまえなら娼婦の役がぴったりだよ。男をたぶらかして、骨抜きにする。嘘つきで淫らで性悪の役だ。地でいける」なんて言われる。
こんなネズミが大好きです。(結論)
次は『ネバーランド』。なかなか萌え萌えする作品ですね。
8冊目『NO.6 ♯3』
2007年9月12日 読書
『NO.6 ♯3』あさの あつこ(講談社) ’06 2/2
評価;A
ネズミは紫苑を失いたくないがために沙布の誘拐を紫苑に隠していた。
紫苑がそのことを知ると一人できっとネズミの元を去ってしまうだろうから。
悩むネズミ。
・・・・・・・・・・・こんなあらすじだっけ・・・・・・?
や、だってネタバレになるし・・・。
相変わらずお互いを思いやっちゃってます、この二人。
愛おしいです。
悩め悩め〜〜。
次は9冊目『NO.6 ♯4』。
評価;A
ネズミは紫苑を失いたくないがために沙布の誘拐を紫苑に隠していた。
紫苑がそのことを知ると一人できっとネズミの元を去ってしまうだろうから。
悩むネズミ。
・・・・・・・・・・・こんなあらすじだっけ・・・・・・?
や、だってネタバレになるし・・・。
相変わらずお互いを思いやっちゃってます、この二人。
愛おしいです。
悩め悩め〜〜。
次は9冊目『NO.6 ♯4』。