ミイラと古代エジプト展
2007年5月4日
4月30日(月・祝)。
大型連休前半と言われた世間で言う「三連休」ですが、私にとってこの日が初めての休みでした・・・。
この日、神戸市立博物館で開催されている「ミイラと古代エジプト展」に行ってきました。
http://www.asahi.com/miira/
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2006/mummy/index.html
向こうで学んだことによると、昔19世紀頃は、ミイラの研究をする場合、ミイラを棺から出して、そして包帯まで取って、本体を調べていたそうです。
が、どうやらそれでは包帯はその後ぼろぼろになって使い物にならなくなるし、結果も特にいいものが得られませんでした。
そこで、現代は、現代の文明を駆使して、棺を開けずにCTスキャンなどでデジタル的な研究を行っているそうです。
そのため、今回の主役ともいうべき、ネスペルエンネブウという名前のエジプトの神官のミイラも、棺から出されないままで、展示されていました。その他いくつかあるミイラも同様。
やっぱり月日は流れてるのである程度シミやほつれは見えるんだけど、棺の模様が鮮やかだったり、布の目が見えたりして、20年生きたところではとても長さが想像できないけれども、それでも3000年近く前のものだとは思えませんでした。
これが棺だとしたら、この中にはまだ綺麗なままで誰かが寝ているのではないのか、と。
直前に体内の映像などを見せられているのに、すごく不思議な感覚でした。
まさに神秘の世界、エジプト。
にしても、最初はどうでもいいと思ってたエジプト展に行きたくなったのは、やっぱり数週間前に見た「王家に捧ぐ歌」のDVDのせいなんだろうなぁ。とうこさん可愛ゆいです。
ミイラが3Dで飛び出してくる映像、英語版ではイアン・マッケラン氏がナレーターを務めたらしいです。
・・・むしろ彼のままがよかったと思ってしまいました。や、ファンだからです。
人間のミイラの他にも、動物のミイラ、エジプトの装飾品や、副葬品などもいろいろ展示されていました。
猫や魚のミイラがあったり、小さな蛙(そういうデザイン)が付いてる指輪や、細かいとかげ(そういうデザイン)や綺麗な宝石が繋げてあるネックレスとか、3000年以上前のものだとはとても思えないものがあったり。
とにかくすごかったです。
本当に貴重な経験。
しばらく古代エジプトの本を読み漁ろうかしら。
「王家に捧ぐ歌」ということで、今「アイーダ」の本を数冊読んでます。
以下、どうせ作っちゃったので、載せさせていただきます。
「アイーダ」から着想を得て、私が詩を作る大学の授業のために作った詩です。
しゅーちぷれいなので、小さい文字で行きます。
ある小さき愛
東の山に太陽が昇る頃
青年は闇から生まれ出でた
最初青年は冠を欲した
月桂樹は王冠に変えられることを
それは無造作に歌われる概念だった
次に青年は武器を欲した
かの人を守るための
敵はかの人の祖国でありまた自らの大地でもあった
最後に青年は真実を欲した
かの人の裏切りであろうと
心乱れることはない
敵はかの人の祖国でありまた自らの大地であった
西の海に太陽が沈む頃
青年はかの人を抱き
闇により葬られた
ともに光になることの歓喜を抱きながら
ともに我われについて虚しく問いながら
地上での破滅の代償として
二人は光明に満ちた楽園へと身を捧げた
それを幸せであるとある人は言う
読んだ人は皆「壮大」だと言うのですが、私としては題名にあるとおりただ一つの愛を書いただけなのに。意外でした。
高評価はいらないので、単位だけは欲しいです・・・。
大型連休前半と言われた世間で言う「三連休」ですが、私にとってこの日が初めての休みでした・・・。
この日、神戸市立博物館で開催されている「ミイラと古代エジプト展」に行ってきました。
http://www.asahi.com/miira/
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2006/mummy/index.html
向こうで学んだことによると、昔19世紀頃は、ミイラの研究をする場合、ミイラを棺から出して、そして包帯まで取って、本体を調べていたそうです。
が、どうやらそれでは包帯はその後ぼろぼろになって使い物にならなくなるし、結果も特にいいものが得られませんでした。
そこで、現代は、現代の文明を駆使して、棺を開けずにCTスキャンなどでデジタル的な研究を行っているそうです。
そのため、今回の主役ともいうべき、ネスペルエンネブウという名前のエジプトの神官のミイラも、棺から出されないままで、展示されていました。その他いくつかあるミイラも同様。
やっぱり月日は流れてるのである程度シミやほつれは見えるんだけど、棺の模様が鮮やかだったり、布の目が見えたりして、20年生きたところではとても長さが想像できないけれども、それでも3000年近く前のものだとは思えませんでした。
これが棺だとしたら、この中にはまだ綺麗なままで誰かが寝ているのではないのか、と。
直前に体内の映像などを見せられているのに、すごく不思議な感覚でした。
まさに神秘の世界、エジプト。
にしても、最初はどうでもいいと思ってたエジプト展に行きたくなったのは、やっぱり数週間前に見た「王家に捧ぐ歌」のDVDのせいなんだろうなぁ。とうこさん可愛ゆいです。
ミイラが3Dで飛び出してくる映像、英語版ではイアン・マッケラン氏がナレーターを務めたらしいです。
・・・むしろ彼のままがよかったと思ってしまいました。や、ファンだからです。
人間のミイラの他にも、動物のミイラ、エジプトの装飾品や、副葬品などもいろいろ展示されていました。
猫や魚のミイラがあったり、小さな蛙(そういうデザイン)が付いてる指輪や、細かいとかげ(そういうデザイン)や綺麗な宝石が繋げてあるネックレスとか、3000年以上前のものだとはとても思えないものがあったり。
とにかくすごかったです。
本当に貴重な経験。
しばらく古代エジプトの本を読み漁ろうかしら。
「王家に捧ぐ歌」ということで、今「アイーダ」の本を数冊読んでます。
以下、どうせ作っちゃったので、載せさせていただきます。
「アイーダ」から着想を得て、私が詩を作る大学の授業のために作った詩です。
しゅーちぷれいなので、小さい文字で行きます。
ある小さき愛
東の山に太陽が昇る頃
青年は闇から生まれ出でた
最初青年は冠を欲した
月桂樹は王冠に変えられることを
それは無造作に歌われる概念だった
次に青年は武器を欲した
かの人を守るための
敵はかの人の祖国でありまた自らの大地でもあった
最後に青年は真実を欲した
かの人の裏切りであろうと
心乱れることはない
敵はかの人の祖国でありまた自らの大地であった
西の海に太陽が沈む頃
青年はかの人を抱き
闇により葬られた
ともに光になることの歓喜を抱きながら
ともに我われについて虚しく問いながら
地上での破滅の代償として
二人は光明に満ちた楽園へと身を捧げた
それを幸せであるとある人は言う
読んだ人は皆「壮大」だと言うのですが、私としては題名にあるとおりただ一つの愛を書いただけなのに。意外でした。
高評価はいらないので、単位だけは欲しいです・・・。
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