『ヴェルディ作 アイーダ』監修・高樹のぶ子 文・川村玲子 絵・三好貴子(STUDIO
CELLO)
 ’07 4/24

評価;B

ヴェルディ作のオペラ「アイーダ」を絵本にしたものです。

この本を読もうと思ったきっかけも宝塚の舞台です。
宝塚の専門チャンネルである「スカイステージ」で母が昔録画していた「王家に捧ぐ歌」を観たんですよね。
そして、まぁ、見事にはまったわけです。アイーダ役をやっていた安蘭けいさんと、作品自体に。あと星組に興味を持つきっかけにもなりました。

『アイーダ』のあらすじ。
若き兵士ラダメスは自分を愛するエジプトの王女アムネリスに仕える自らがエチオピアから連れてきた奴隷アイーダ(実はエチオピアの王女だが、その素性は誰も知らない)と相思相愛であり、将軍となった暁には勝利を彼女に捧げたいと願う。アムネリスもまた彼に心を寄せており、直感的にアイーダが恋敵であると悟り、激しく嫉妬する。アムネリスの父であるファラオはラダメスを将軍に任命し、エジプトに迫るエチオピアの討伐を命ずる。アイーダは舞台に一人残り、父であるエチオピア王と愛するラダメスが戦わなければならない運命を嘆く。
数日が経ち、エジプトにはエジプト軍勝利の一報が入る。しかし、アムネリスは祖国が敗れ沈痛な面持ちのアイーダに向かって「エジプト軍は勝ったが、ラダメスは戦死した」と虚偽を述べて動揺させ、自分もラダメスを想っていることを告げ、王女と奴隷という身分の相違から自分こそがラダメスを得るであろうことを宣言する。
ラダメスは軍勢を率いてエジプトに凱旋するが、彼はエチオピア人捕虜の釈放をファラオに願う。捕虜の中には身分を隠したアモナズロもいたので、アイーダはつい「お父さん」と言ってしまうが、アモナズロは「国王は戦死し、いまや我々は無力」と偽りを述べ、彼の身分は発覚しない。神官ラムフィスはアモナズロを人質として残すことを条件に捕虜釈放に同意、ファラオはラダメスに娘アムネリスを与え、次代国王にも指名する。勝ち誇るアムネリス、絶望に沈むアイーダ、復讐戦を画策するアモナズロ、それぞれの思いが交錯する。
次のエジプト軍の動きを探ろうとするアモナズロは、将軍ラダメスからそれを聞き出すようにアイーダに命じる。アイーダの誘導に、ラダメスは最高機密であるエジプト軍の行軍経路を口にしてしまう。アモナズロが欣喜雀躍して登場し、アイーダに一緒にエチオピアに逃げようと勧める。愕然とするラダメスは自らの軽率を悔いる。そこにアムネリスとラムフィス、祭司たちが現れ、アモナズロとアイーダ父娘は逃亡するが、ラダメスは自らの意思でそこに留まり、国を裏切った者として捕縛される。
アムネリスは裁判を待つラダメスに面会する。彼女は、エチオピア軍の再起は鎮圧され、アモナズロは戦死したがアイーダは行方不明のままであると彼に告げ、ラダメスがアイーダを諦め自分の愛を受け容れてくれるなら、自分も助命に奔走しよう、とまで言うが、ラダメスはその提案を拒絶し審判の場へ向かう。アムネリスは裁判を司る祭司たちに必死に減刑を乞うが聞き入れられない。アムネリスが苦しみ悶える中、ラダメスは一切の弁明を行わず黙秘、地下牢に生き埋めの刑と決定する。
ラダメスが地下牢に入れられると、そこにはアイーダが待っていた。彼女は判決を予想してここに潜んでいたのだと言う。2人は現世の苦しみに別れを告げ、平穏に死んで行く。

と、いうのがウィキペディアから引っ張ってきたあらすじです。
「王家に捧ぐ歌」はやはり原作を脚色してますし、いつも言うことですが、絵本を借りたのはずいぶん前で記憶があやふやですし・・・。

ご存知の方は多いと思いますが、オペラでラダメスがエジプトに凱旋する時の「凱旋行進曲」は、日本でサッカーの応援歌として歌われている(「ウォーウォーーーウォウォウォウォッウォッウォ・・・」と歌われている)あの曲です。

アイーダのあらすじが知りたい、という人にはおすすめの本です。絵も綺麗ですしね。

・・・私は本当に世界のことを知らないのですが、エジプト人って肌白いんですか・・・?アムネリス様色白い。

「王家に捧ぐ歌」の話になります。
いきなりですが、安蘭けいさんは素晴らしいです。男役の役者さんなのに、見事に女役のアイーダを演じていらっしゃいます。愛称でトウコさんと呼ばせていただきますが、本当に、この方は二枚目の役も、おじさんの役も、悪役も、男役として完璧に演じていらっしゃいますし、女役でも娘役顔負けの演技をしていらっしゃいます。男役が女役を演じる時にえてして娘役より声が低くなり、なんとなくニューハーフっぽくなるのはままあることですが、トウコさんはお芝居も歌も完璧に男役の時と声が変わります。無理なく高音が出せる声をお持ちです。
あと、トウコさんは足が素晴らしく綺麗です。全く足フェチじゃない私でも、綺麗すぎて驚いたぐらいです。
・・・って、何故トウコさん賛美になってしまっているんだろうか・・・。

・・・まぁ、私が「王家に捧ぐ歌好き!」って言う70%はトウコさんで持ってるんですけどね。
あとはキラキラの湖月わたるさんとか、檀れいさんのはまり役とか、一樹千尋さんの名演技とか、ファラオの驚きの姿とかで出来ています。

宝塚星組成分分析機(http://seibun.nosv.org/maker.php/takarazukastar/)での結果のほとんどが、

ナオミの62%は狂気のアモナスロで出来ています
ナオミの24%は甘い毒牙で出来ています
ナオミの7%はサウフェのサラッ毛で出来ています
ナオミの6%はカマンテのしゃがれ声で出来ています
ナオミの1%はファラオの顎で出来ています

この通り、主に「王家に捧ぐ歌」で出来ているぐらい大好きなのですよ、私。

蛇足ですが、この頃の星組から知っていたかったと切実に思います。
舞台を生で観たかったですし、汐美真帆さんや大真みらんさんもいらっしゃったし。
なによりトウコ&ケロ、ゆかり&ももこのコンビが見たかった!!

・・・という、本に関係ない話題で、締めます。

次は『エリザベート―愛と死の輪舞』。
映像じゃないですよー、本ですよー。・・・宝塚関係であることに変わりはありませんけどね。

追記。(2008年1月25日)
大学の授業で、「過去現在を問わず自分が最もラブストーリーだと思う話を挙げ何故そう思うのか理由を述べよ」(書籍でもドラマでも実際の身近な出来事でもなんでも良い)という課題が出たので、『王家に捧ぐ歌』と『アイーダ』を絡めてレポートを書いてみました。以下本文です。

「一番のラブストーリー」とは何か。

 現在までに出会った一番のラブストーリーとして最初に思い付くのは宝塚歌劇の『王家に捧ぐ歌』であった。私は2003年に宝塚歌劇団星組によって演じられたこの舞台を生で観たことはなかったが、最近になってこの舞台を映像で観る機会を得た。音楽や装飾も素晴らしく、舞台全体を通して演劇として評価できるのだが、それはラブストーリーには直接関係してないのでここではストーリーにのみ焦点を当てる。しかし、先に言っておくと、私はこの舞台よりもこの舞台をきっかけにして知ったこの舞台の原作の方がよりラブストーリーであると思う。それは後に書くことにして、先に『王家に捧ぐ歌』について書く。
 『王家に捧ぐ歌』とは、古代エジプトの将軍ラダメスとエジプト軍に捕えられ奴隷となったエチオピアの王女アイーダとの悲恋を、ラダメスに想いを寄せるファラオの娘アムネリス、エジプトを憎むアイーダの父王アモナスロ・兄ウバルドそれぞれの想いを交えて描いた作品である。国を捨て共に逃げる覚悟を決めアイーダに決行の日にちを告げたラダメスの行動は、結果としてアモナスロ、ウバルドのファラオ暗殺に間接的に手を貸してしまったことになり、ラダメスは裏切り者として地下牢に閉じ込められ生き埋めにされることとなった。扉が閉ざされる前に忍び込んでいたアイーダとラダメスは地下牢で再会し、共に眠るように死んでいく。「あなたは生き続けると思った。それだけが私の支えだった」と絶望するラダメスに言うアイーダの言葉「私たちは愛し合ったのよ。生きようと死のうとそれがすべてよ」が良い。生きている人間にとって考えられ得る終わりのない世界とは死の世界であり、死の世界で結ばれるというのは究極のラブストーリーであるのだ。
 しかし、そのような台詞があったとしても、『王家に捧ぐ歌』は、その原作よりはラブストーリーではない。なぜなら、その台詞を言った後アイーダは、「一つだけできることが残されているわ。祈ることよ。愛し合う者たちが死ななくても済むように」と言う。ラダメスが「人と人が生きてこの世界で愛し合えるように」「この世に平和を、この地上に輝きを」と歌う。父ファラオを殺されたことに怒り、エチオピアの討伐を決意したアムネリスも、ラダメスの死に心を動かし、「私が生きている限りエジプトは二度と戦いを挑んではなりません」と宣言する。結局のところ、『王家に捧ぐ歌』とはラブストーリーの形を取った平和奨励作品なのだ。たとえ究極の恋愛であったとしても、そこにそれ以上に訴えたい他の要素があれば、それは完全なる一番のラブストーリーだとは言い切ることができない。
 そこで、私は『王家に捧ぐ歌』の原作、ヴェルディ作のオペラ『アイーダ』を一番のラブストーリーであると考える。オペラとは得てして荒唐無稽なキャラクターやストーリー展開であるが、彼ら他のことを考えず登場人物は恋愛のみを生きている。ラダメスとアイーダも例に漏れずだ。身勝手なキャラクターこそラブストーリーに相応しい。
 『王家に捧ぐ歌』と『アイーダ』、どちらが面白いかは、ラブストーリーとはまた別の問題だ。

ということでした。

ちなみにこのレポートを書くために参考にした図書はこの絵本と『宝塚アカデミア 21』でした。『宝塚アカデミア』なんて私の大嫌いな部類に入る本なので読んだことなんてありませんでしたが、『王家に捧ぐ歌』特集をやっていたので、もしかしたら原作との比較なんかやってくれちゃったりしているのかと期待して読んでみたら、まぁクソのような阿呆らしい文章の数々。あんたらとりあえず批判したいだけちゃうん?というね。よかったねー、こんな阿呆な文章書いてるぐらいでお金もらえてー。と、胸糞悪くなった本でした。二度と読むまい。

母に「あんた趣味と兼ねてるやろ」って言われましたが、私は至って真面目です。詩の授業でも、『王家に捧ぐ歌』とか『さくら』とか月組78期コンビとかをモデルにした詩を書きましたが、それもただ良いテーマだったから選んだだけのことで。
でもまぁ、趣味と兼ねられることに越したことはないでしょうよ。

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