33冊目『レオナルドのユダ』
2006年12月7日 読書
※思いっきりネタばれしてます※
『レオナルドのユダ』服部 まゆみ(角川文庫) ’06 5/10
評価;A
は、半年以上前に読み終わった本ですが・・・・・。
『ダ・ヴィンチ・コード』を読んで一気にレオナルドが好きになり、その影響で読んだ本です。たしか近所の本屋の『〜・コード』の特集コーナーに置いてあったんですよ。で、裏表紙のあらすじを読んだら面白そうだから、ついつい買ってしまった、と。
実はこの本、Amazonでもブクログでも評価が高くないんですね。でも私はとても気に入ったのです。
もともと狂気の愛というテーマが好きだからかもしれません。
さて、この本とは。
神に選ばれし万能の天才―画家にして彫刻家、科学者、医師、音楽家でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチ。気高く優雅な魅力を放つ彼の周りには、様々な人々が集っていた。貴族の跡取り息子でありながら、レオナルドに魅せられて画房の弟子となったフランチェスコ。フランチェスコの使用人でありながらレオナルドに憧れるジャン。絶世の美青年でレオナルドの愛情を一身に受けるサライ。愛するマルカントーニオの信頼を一身に受けるレオナルドを憎み、才能を決して認めようとしない毒舌の人文学者パーオロ。
裏表紙の説明より引用です。
が、この後、「天才レオナルドの魅力を真摯に描き、彼が遺した『モナ・リザ』の謎に迫る、著者渾身の歴史ミステリー。」とも続くのですが、私にはそれは主題でないように感じられてなりません。
偉大すぎるレオナルド・ダ・ヴィンチと接するうちに狂ったように彼に惹かれていく彼の周りの人物たちを描いた作品です。
光から陰が出来るように、「キリスト」から「ユダ」が生まれた。「レオナルドのユダ」もまた然り。その根底に流れるもの、それは共に狂信的偏狂的愛。
一方的な、そしてその愛のためであれば何でもできるという、まぁ周りからすればいわばはた迷惑な愛です。
ところで、話は少しずれますが、太宰治の作品に、「駆け込み訴え」という短編があるんです。
これはユダがイエスに対する思いをひたすら独白しているというものですが、これもまさに狂信的偏狂的愛です。
あの人ただ一人をひたすら想っている自分(ユダ)の気持ちにあの人(イエス)は全く気付いてくれない。こんなに愛しているのに。憎い。
そんなユダには、キリストの謳った真理でさえ、権力者を愚弄するものに思え、そしてそれは、権力者が自身(イエス)を殺すように仕向けている、つまり「自分を殺して欲しい」と訴えているように聞こえる。
殺そう。誰かの手によってではなく、自分の手で。 自分がきっかけとなって。
そして彼が死んだら自分も死のう。自分は彼を憎んでいたから。自分は彼を愛していたから。自分は彼を愛しているから。
20ページの作品なんですが、この直後に「走れメロス」が収録されてるんです。おわかりでしょうが、「走れメロス」とは、国王の反感を買い、死刑を言い渡されたメロスが、「どうしても妹に結婚式を挙げさせてやりたい」という願いを聞いてもらう代わりに、親友のセリヌンティウスに人質に差し出し(セリヌンティウスも了解済み)、三日後の日没までに自分の村へ戻り妹に結婚式をさせ、そして親友を助けるために再び刑場に戻ってくる、というお話です。
「駆け込み訴え」と「走れメロス」。どちらも人と人との繋がり、つまり「愛」を描いた作品です。
それなのにこの差。
一方は極端に偏った愛、一方はこれ以上ないほど純粋な愛。人を殺すことでさえ愛であるという考え方と、相手を信じ続けるという友愛。一人の作家が両極端な愛を描く。この著しく両極端に存在する愛を!
ほんの少しだけ作家に自殺者が多い理由がわかった気もしません?
さてさて、「駆け込み訴え」『レオナルドのユダ』の二作品と「走れメロス」には著しく異なった点が存在します。
それは、話の中心となる人物(「駆け込み訴え」の場合、イエスとユダ。『レオナルドのユダ』の場合、レオナルドとフランチェスコ,ジャン、マルカントーニオとパーオロ。「走れメロス」の場合、メロスとセリヌンティウス)の力関係です。
前者の二作品における登場人物(●●と○○)の間にとてつもない力の差が存在します。しかし後者の二人の立場はあくまで対等です。
前者では、弱者(ユダなど)は相手と並ぶことが出来ないのです。その結果が弱者からの一方的で極端な愛に繋がってしまうのだと思われます。相手があまりに上にいすぎるから、弱者からは手が届かない。そこに「光」と「陰」の関係が生まれるのです。手の届かない相手が「光」だとすると、手を伸ばしている者は何か?「陰」です。
光が存在すると、陰も存在せずを得ない。いや、下の者が光を所望する場合、「陰」にならざるをえないと言った方が正しいかもしれません。それがつまり、「ユダ」を生み出した理由。あまりに力の強い相手を自分のものにするためには、「ユダ」であるしかない。
対等に並ぶことはできない。しかし愛している。その場合取る手段とは、はたから見ると偏狭的な愛に他ならないのです。
『レオナルドのユダ』の「ユダ」とは、その弱者を指します。つまり、 この作品で言われる「レオナルドのユダ」とはフランチェスコとジャンのことであると考えられます。
ところで、逆に後者の場合、メロスたちには「光」と「陰」という概念がありません。力関係が存在しないのです。「光」「陰」で表せないので、どこにいても存在が変わらない、「物体」としてもいいかもしれません。だから対等で、互いを思いやれるのです。
相手との力関係、そこに絶対的な差があるんです。
まぁ、それはどちらが良い悪いの問題ではありませんが。
『レオナルドのユダ』の場合、レオナルドの汚点となる同性愛の事実を、レオナルドに心酔するフランチェスコとジャンは許せなかった。
愛するレオナルドの名が貶められるのであれば、レオナルドが愛した人物でさえ殺せるのです。
あの世のレオナルドは思っていたのではないでしょうか。
「余計なお世話だ」と。
それでも、二人にとっては、光が侵されることは許せないんです。
自分のことよりも断然に。
気持ちがわかるから、というわけではないような気もしますが、この登場人物たちの心情が面白くて面白くて。
それがAの評価を付けた理由です。
そういえば、『レオナルドのユダ』の主題に触れるところですが、この本を読んでいない友人が、「洗礼者聖ヨハネ」を見て、「『モナ・リザ』に似ている」と言いました。
なかなか興味深い発言です。
この本をきっかけに「洗礼者聖ヨハネ」の絵を見てみました。(http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/davinci_giovanni.html)
あまりの美しさにしばらく画面から目が離せませんでした。
美しいの一言。怖いぐらいの美しさ。不気味。それでも美しい。
『レオナルドのユダ』服部 まゆみ(角川文庫) ’06 5/10
評価;A
は、半年以上前に読み終わった本ですが・・・・・。
『ダ・ヴィンチ・コード』を読んで一気にレオナルドが好きになり、その影響で読んだ本です。たしか近所の本屋の『〜・コード』の特集コーナーに置いてあったんですよ。で、裏表紙のあらすじを読んだら面白そうだから、ついつい買ってしまった、と。
実はこの本、Amazonでもブクログでも評価が高くないんですね。でも私はとても気に入ったのです。
もともと狂気の愛というテーマが好きだからかもしれません。
さて、この本とは。
神に選ばれし万能の天才―画家にして彫刻家、科学者、医師、音楽家でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチ。気高く優雅な魅力を放つ彼の周りには、様々な人々が集っていた。貴族の跡取り息子でありながら、レオナルドに魅せられて画房の弟子となったフランチェスコ。フランチェスコの使用人でありながらレオナルドに憧れるジャン。絶世の美青年でレオナルドの愛情を一身に受けるサライ。愛するマルカントーニオの信頼を一身に受けるレオナルドを憎み、才能を決して認めようとしない毒舌の人文学者パーオロ。
裏表紙の説明より引用です。
が、この後、「天才レオナルドの魅力を真摯に描き、彼が遺した『モナ・リザ』の謎に迫る、著者渾身の歴史ミステリー。」とも続くのですが、私にはそれは主題でないように感じられてなりません。
偉大すぎるレオナルド・ダ・ヴィンチと接するうちに狂ったように彼に惹かれていく彼の周りの人物たちを描いた作品です。
光から陰が出来るように、「キリスト」から「ユダ」が生まれた。「レオナルドのユダ」もまた然り。その根底に流れるもの、それは共に狂信的偏狂的愛。
一方的な、そしてその愛のためであれば何でもできるという、まぁ周りからすればいわばはた迷惑な愛です。
ところで、話は少しずれますが、太宰治の作品に、「駆け込み訴え」という短編があるんです。
これはユダがイエスに対する思いをひたすら独白しているというものですが、これもまさに狂信的偏狂的愛です。
あの人ただ一人をひたすら想っている自分(ユダ)の気持ちにあの人(イエス)は全く気付いてくれない。こんなに愛しているのに。憎い。
そんなユダには、キリストの謳った真理でさえ、権力者を愚弄するものに思え、そしてそれは、権力者が自身(イエス)を殺すように仕向けている、つまり「自分を殺して欲しい」と訴えているように聞こえる。
殺そう。誰かの手によってではなく、自分の手で。 自分がきっかけとなって。
そして彼が死んだら自分も死のう。自分は彼を憎んでいたから。自分は彼を愛していたから。自分は彼を愛しているから。
20ページの作品なんですが、この直後に「走れメロス」が収録されてるんです。おわかりでしょうが、「走れメロス」とは、国王の反感を買い、死刑を言い渡されたメロスが、「どうしても妹に結婚式を挙げさせてやりたい」という願いを聞いてもらう代わりに、親友のセリヌンティウスに人質に差し出し(セリヌンティウスも了解済み)、三日後の日没までに自分の村へ戻り妹に結婚式をさせ、そして親友を助けるために再び刑場に戻ってくる、というお話です。
「駆け込み訴え」と「走れメロス」。どちらも人と人との繋がり、つまり「愛」を描いた作品です。
それなのにこの差。
一方は極端に偏った愛、一方はこれ以上ないほど純粋な愛。人を殺すことでさえ愛であるという考え方と、相手を信じ続けるという友愛。一人の作家が両極端な愛を描く。この著しく両極端に存在する愛を!
ほんの少しだけ作家に自殺者が多い理由がわかった気もしません?
さてさて、「駆け込み訴え」『レオナルドのユダ』の二作品と「走れメロス」には著しく異なった点が存在します。
それは、話の中心となる人物(「駆け込み訴え」の場合、イエスとユダ。『レオナルドのユダ』の場合、レオナルドとフランチェスコ,ジャン、マルカントーニオとパーオロ。「走れメロス」の場合、メロスとセリヌンティウス)の力関係です。
前者の二作品における登場人物(●●と○○)の間にとてつもない力の差が存在します。しかし後者の二人の立場はあくまで対等です。
前者では、弱者(ユダなど)は相手と並ぶことが出来ないのです。その結果が弱者からの一方的で極端な愛に繋がってしまうのだと思われます。相手があまりに上にいすぎるから、弱者からは手が届かない。そこに「光」と「陰」の関係が生まれるのです。手の届かない相手が「光」だとすると、手を伸ばしている者は何か?「陰」です。
光が存在すると、陰も存在せずを得ない。いや、下の者が光を所望する場合、「陰」にならざるをえないと言った方が正しいかもしれません。それがつまり、「ユダ」を生み出した理由。あまりに力の強い相手を自分のものにするためには、「ユダ」であるしかない。
対等に並ぶことはできない。しかし愛している。その場合取る手段とは、はたから見ると偏狭的な愛に他ならないのです。
『レオナルドのユダ』の「ユダ」とは、その弱者を指します。つまり、 この作品で言われる「レオナルドのユダ」とはフランチェスコとジャンのことであると考えられます。
ところで、逆に後者の場合、メロスたちには「光」と「陰」という概念がありません。力関係が存在しないのです。「光」「陰」で表せないので、どこにいても存在が変わらない、「物体」としてもいいかもしれません。だから対等で、互いを思いやれるのです。
相手との力関係、そこに絶対的な差があるんです。
まぁ、それはどちらが良い悪いの問題ではありませんが。
『レオナルドのユダ』の場合、レオナルドの汚点となる同性愛の事実を、レオナルドに心酔するフランチェスコとジャンは許せなかった。
愛するレオナルドの名が貶められるのであれば、レオナルドが愛した人物でさえ殺せるのです。
あの世のレオナルドは思っていたのではないでしょうか。
「余計なお世話だ」と。
それでも、二人にとっては、光が侵されることは許せないんです。
自分のことよりも断然に。
気持ちがわかるから、というわけではないような気もしますが、この登場人物たちの心情が面白くて面白くて。
それがAの評価を付けた理由です。
そういえば、『レオナルドのユダ』の主題に触れるところですが、この本を読んでいない友人が、「洗礼者聖ヨハネ」を見て、「『モナ・リザ』に似ている」と言いました。
なかなか興味深い発言です。
この本をきっかけに「洗礼者聖ヨハネ」の絵を見てみました。(http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/davinci_giovanni.html)
あまりの美しさにしばらく画面から目が離せませんでした。
美しいの一言。怖いぐらいの美しさ。不気味。それでも美しい。
34冊目『まほろ駅前多田便利軒』
2006年12月8日 読書
『まほろ駅前多田便利軒』三浦 しをん(文藝春秋) ’06 5/23
評価;C
出版社 / 著者からの内容紹介
東京のはずれに位置する‘まほろ市’の駅前にある便利屋「多田便利軒」に舞いこむ依頼はどこかきな臭い。多田と行天コンビの魅力満点の連作集!
内容(「BOOK」データベースより)
東京のはずれに位置する“まほろ市”。この街の駅前でひっそり営まれる便利屋稼業。今日の依頼人は何をもちこんでくるのか。痛快無比。開巷有益。やがて切ない便利屋物語。
以上本の紹介でした。
直木賞取った作品らしいです。
ところで、三浦しをんさんの作品では、私は『月魚』が大好きです。
静かで少し物悲しく、けれど確かに温かみの含まれる、あの作品の空気がとても好きなんです。
で、今回の作品。
うーん、正直、あんまり印象に残ってないんですよね・・・。
半年前だからというのもあるかもしれないけれど、それにしても印象が薄い。
『月魚』と大違いなんですよね。
それでも、主人公達の過去にあぁいう設定を持ってくるのは、やっぱり面白い。
印象に残らなかった原因は何だろう。
おそらく、私にとって魅力的な登場人物があまりいなかったことではないかと。
確かに背景が面白いけれど、あくまで面白いにとどまっちゃって、感情移入してなかったのかも。
感想としては、良くも悪くも「面白い」の一言なのです。
ただ、この作品、終わり方が、「あぁ、しをんさんだな」って思いました。ねぇ。
評価;C
出版社 / 著者からの内容紹介
東京のはずれに位置する‘まほろ市’の駅前にある便利屋「多田便利軒」に舞いこむ依頼はどこかきな臭い。多田と行天コンビの魅力満点の連作集!
内容(「BOOK」データベースより)
東京のはずれに位置する“まほろ市”。この街の駅前でひっそり営まれる便利屋稼業。今日の依頼人は何をもちこんでくるのか。痛快無比。開巷有益。やがて切ない便利屋物語。
以上本の紹介でした。
直木賞取った作品らしいです。
ところで、三浦しをんさんの作品では、私は『月魚』が大好きです。
静かで少し物悲しく、けれど確かに温かみの含まれる、あの作品の空気がとても好きなんです。
で、今回の作品。
うーん、正直、あんまり印象に残ってないんですよね・・・。
半年前だからというのもあるかもしれないけれど、それにしても印象が薄い。
『月魚』と大違いなんですよね。
それでも、主人公達の過去にあぁいう設定を持ってくるのは、やっぱり面白い。
印象に残らなかった原因は何だろう。
おそらく、私にとって魅力的な登場人物があまりいなかったことではないかと。
確かに背景が面白いけれど、あくまで面白いにとどまっちゃって、感情移入してなかったのかも。
感想としては、良くも悪くも「面白い」の一言なのです。
ただ、この作品、終わり方が、「あぁ、しをんさんだな」って思いました。ねぇ。
お抹茶
2006年12月9日
いきなり飲みたくなって、一人でお茶を立ててました。
お茶立てるのめちゃくちゃ久しぶりです。
茶道は高校二年の時、一年間授業で習ってたのですが、それ以来お茶を立てたのは一、二回程度。
この間東山に夜の紅葉を見に行った時に買った茶せんとお抹茶、そして高校時代自分で絵を書いたオリジナル(?)茶わんを使いました。
これは高校で茶道習ってた時からわかってたことなんですが、私、お茶立てるのめっちゃ下手です・・・。
きめ細かい泡なんて立たない!一体みんなどうやってるんだっ!?
で、今回も相変わらずでした・・・。玉砕。
今回は、自分ひとりに立てるものだしー、ってことで、茶道経験者にどつかれそうですが、右手で茶せんもって泡立て(って言わないよね、普通。)、疲れたら左手に持ち替えー、なんてやったり、苦いから二杯目には砂糖いれたり、できたらできたで片手で茶わん持ったり、途中で栗納豆食べたり。
二杯目は、正しくしたら少しは上手くいくだろうか、と床に正座して立ててみたけど、フローリングの床はただ痛いだけだった。
茶道に対して、いろいろごめんなさい。
裏千家のみなさまごめんなさい。
さかのぼってさかのぼって千利休さんあたりごめんなさい。(今日書道史のノートに名前書いたのに)
次は頑張ります。
エセ茶道経験者ですが、抹茶を愛する心だけはたっぷりあるんですよぅ・・・。
お茶立てるのめちゃくちゃ久しぶりです。
茶道は高校二年の時、一年間授業で習ってたのですが、それ以来お茶を立てたのは一、二回程度。
この間東山に夜の紅葉を見に行った時に買った茶せんとお抹茶、そして高校時代自分で絵を書いたオリジナル(?)茶わんを使いました。
これは高校で茶道習ってた時からわかってたことなんですが、私、お茶立てるのめっちゃ下手です・・・。
きめ細かい泡なんて立たない!一体みんなどうやってるんだっ!?
で、今回も相変わらずでした・・・。玉砕。
今回は、自分ひとりに立てるものだしー、ってことで、茶道経験者にどつかれそうですが、右手で茶せんもって泡立て(って言わないよね、普通。)、疲れたら左手に持ち替えー、なんてやったり、苦いから二杯目には砂糖いれたり、できたらできたで片手で茶わん持ったり、途中で栗納豆食べたり。
二杯目は、正しくしたら少しは上手くいくだろうか、と床に正座して立ててみたけど、フローリングの床はただ痛いだけだった。
茶道に対して、いろいろごめんなさい。
裏千家のみなさまごめんなさい。
さかのぼってさかのぼって千利休さんあたりごめんなさい。(今日書道史のノートに名前書いたのに)
次は頑張ります。
エセ茶道経験者ですが、抹茶を愛する心だけはたっぷりあるんですよぅ・・・。
35冊目『生協の白石さん』
2006年12月10日 読書
『生協の白石さん』白石昌則 東京農工大学の学生の皆さん(講談社) ’06 5/25
評価;B
いっとき話題になりましたねー。
古本屋で見つけて買ってみた本です。
慎吾くんの「最強の白取さん」のイメージで、白石さんは女の方だと思ってました。
とにかく白石さんが素敵すぎます。
こんな人になりたい。
評価;B
いっとき話題になりましたねー。
古本屋で見つけて買ってみた本です。
慎吾くんの「最強の白取さん」のイメージで、白石さんは女の方だと思ってました。
とにかく白石さんが素敵すぎます。
こんな人になりたい。
ダニエル・パウター!
2006年12月18日
明日「BAD DAY」目当てでこのオムニバスのアルバム買おうと思ってタイトルとかメモしてたら、おっとテレビからまさにその曲が聞こえてくる?
見ると今日のスマスマの歌ゲストはまさにまさにダニエル・パウターその人!!
ベストなタイミングだこと!(笑)
よし、明日絶対買おう、このアルバム。
あ、オーリに会いたくなってきた。「エリザベス・タウン」観たい。
見ると今日のスマスマの歌ゲストはまさにまさにダニエル・パウターその人!!
ベストなタイミングだこと!(笑)
よし、明日絶対買おう、このアルバム。
あ、オーリに会いたくなってきた。「エリザベス・タウン」観たい。
『魔王』伊坂 幸太郎(講談社) ’06 5/26
評価;B
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
「生徒諸君に寄せる」という宮沢賢治の詩の一節。
この三行の言葉を掲げ颯爽と現れた犬養という政治家。
大衆を先導・扇動するカリスマ性を持ち合わせている。
かくも簡単にわが国はファシズムと化すのか。
自らの特別な能力を用い、命を懸けてその恐怖と闘う安藤・兄。
そして、弟の物語。
これ読んだ後、宮沢賢治の詩集を数ページ読んでみましたが、普通に挫折しました。
詩はわからん。
・・・感想全く書いてませんが、終わらせてください。っていうか、だいぶ前に読んだ本なんで、内容あんまり覚えてないんですよぅ・・・。
評価;B
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
「生徒諸君に寄せる」という宮沢賢治の詩の一節。
この三行の言葉を掲げ颯爽と現れた犬養という政治家。
大衆を先導・扇動するカリスマ性を持ち合わせている。
かくも簡単にわが国はファシズムと化すのか。
自らの特別な能力を用い、命を懸けてその恐怖と闘う安藤・兄。
そして、弟の物語。
これ読んだ後、宮沢賢治の詩集を数ページ読んでみましたが、普通に挫折しました。
詩はわからん。
・・・感想全く書いてませんが、終わらせてください。っていうか、だいぶ前に読んだ本なんで、内容あんまり覚えてないんですよぅ・・・。
Goodbye 2006
2006年12月31日いやぁ、「The 有頂天ホテル」は面白かった。
もう憎むべきキャラなんて一人もいないんですが、役所さんの台詞が一番お気に入り。
(ポスター指して)「一つだけ!これなんですか。すっごい笑ってますが、はは」
「牝鹿はおうおうにして、牡鹿より、牝鹿・・・っぽい」
吹き出します。
年の暮れだってのに、読書記録の更新が全く進んでません。
ってか5月の分さえまだ終わってません・・・。
間あきすぎて、かえって覚えてないんだよね。
ふぅ。
新春テレビ雑誌は、naviとガイドと買いました。
naviは母、ガイドは私です。
別に買う気はなかったんだけれども、祖母のお遣いで、おせち用の菜の花を買いに行って、レジ並んでると、中居さんが非常に可愛らしくこっちを見てたんだもの!恐るべき、中居正広上目使い・・・。
母が普段買わないテレビ雑誌を買ってきた理由は、もちろんnaviに載ってる和央ようかさんです。大ファンですからね・・・。
吾郎ちゃんの次のページだっけ、前のページだっけ?
よろしければ、チェックしてください。
宝塚やめちゃったのが本当に惜しいぐらい、素敵な方ですよ。
さー、じゃあ、祖母の家におせち作り手伝いに行きましょうか。
お雑煮はよ食べたいなー。
では、みなさん、良いお年を!
もう憎むべきキャラなんて一人もいないんですが、役所さんの台詞が一番お気に入り。
(ポスター指して)「一つだけ!これなんですか。すっごい笑ってますが、はは」
「牝鹿はおうおうにして、牡鹿より、牝鹿・・・っぽい」
吹き出します。
年の暮れだってのに、読書記録の更新が全く進んでません。
ってか5月の分さえまだ終わってません・・・。
間あきすぎて、かえって覚えてないんだよね。
ふぅ。
新春テレビ雑誌は、naviとガイドと買いました。
naviは母、ガイドは私です。
別に買う気はなかったんだけれども、祖母のお遣いで、おせち用の菜の花を買いに行って、レジ並んでると、中居さんが非常に可愛らしくこっちを見てたんだもの!恐るべき、中居正広上目使い・・・。
母が普段買わないテレビ雑誌を買ってきた理由は、もちろんnaviに載ってる和央ようかさんです。大ファンですからね・・・。
吾郎ちゃんの次のページだっけ、前のページだっけ?
よろしければ、チェックしてください。
宝塚やめちゃったのが本当に惜しいぐらい、素敵な方ですよ。
さー、じゃあ、祖母の家におせち作り手伝いに行きましょうか。
お雑煮はよ食べたいなー。
では、みなさん、良いお年を!